装飾書法の発達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 02:56 UTC 版)
786年前後、アル=ハリール・イブン・アフマド・アル=ファラーヒディー(英語版)によってアラビア文字はほとんど固定された。これ以降、クルアーンを書き記すなど書物に用いるための書体、装飾として碑銘に用いる書体の双方が考案されてゆく。 まず最初に広まったのがクーフィー体である。角張って四角く、水平方向に比較的短く、長く太い縦棒と小さい丸で構成される。イスラーム初期の300年間にわたって、クルアーンは主にクーフィー体を用いて記された。クーフィー体は静的、すなわち動きの少ない安定感のある書体であり、碑文にもふさわしかった。また、それぞれの文字にセリフ(ひげ線)や小さな装飾を加えた派生的書体も多く作られた。 日常的な筆記によく用いられたのは、丸みを帯びた細い筆写体、ナスフ体(ナスヒー体)である。やがてナスフ体は筆記技術が改良され、クルアーンを書写する書体として、クーフィー体よりも好まれるようになった。アラビア語印刷物のほとんどはナスフ体による。これは混乱を避けるため、そして子供たちが手本とする書体であるからである。印刷物で用いる明快で可読性が高い書体をモダン・ナスヒー体という。 13世紀には、クーフィー体が担った装飾的書体の役割をスルス体が担うようになる。スルス体は「3分の1」を意味しており、各文字の下部3分の1を左下方向に曲げてゆく原則から来ている。この書体は筆写体の側面も持ち、ふところの大きい曲線を基調に書かれる。 イスラームは東方へも拡大し、ペルシア人はペルシア語の表記にアラビア文字を用いるようになった。ペルシア人の書道への貢献はタアリーク体(ドイツ語版)およびナスタアリーク体と呼ばれる書体である。これらはきわめて曲線的で流れるような書体である。水平方向の筆遣いが極端に長く、垂直方向の線が一般的な左方向ではなく、右方向へと曲げられることもある点が特徴となる。ナスタアリーク体は特に流麗な書体である。またペルシア人の考案によるものにはシェキャステ体(英語版)もある。シェキャステとは「崩された」という意味で、前の文字が後ろにつながるというアラビア文字の規則を破っている。 ディーワーニ体(英語版)は、オスマン帝国で16世紀から17世紀初期にかけて成立した筆写体である。これはフサーム・ルーミーによって考案され、スレイマン1世(1520-1566)のもと人気を博した。この書体は装飾性と読みやすさを兼ね備えており、文字に使われる線の複雑さと語中の文字の並列的な接近が特徴。 ディーワーニー体のバリエーションとしてジャリー・ディーワーニー体(アラビア語版)があるが、これは大量の装飾的記号が特徴的。 実用的には、21世紀初頭現在、もっとも一般的に用いられるのがルクア体である。書法は単純簡潔であり、振幅は小さく筆先の移動量は少ないため、手早く、そして読み易い字を書ける。たいていの子供たちは、まずナスフ体を習い、進級すると、ナスフ体からのステップアップとしてルクア体を習う。 イスラーム書家の従来の器具はカラム(英: qalam)という葦の茎を乾燥させたペンである。カラーインクを用いることも多いが、大きく色合いの異なるさまざまな色を選び出す。大きなストロークと相まって、見る者にダイナミックな印象を与える。 アラビア書道は西洋世界とは異なり廃れることはなかった。アラビア文字はラテン文字と違い筆写体が本来の姿である。クルアーンやハディース(預言者言行録)、あるいは単なることわざの章句などを書き留めるが、その際は鑑賞されることを意識した目を見張るような構成を用いた作品として仕上げられ、判読できないほどのものになってしまうことも多い。その構図は多くの場合、著しく抽象的なものであるが、時に動物の姿をかたどることもある。現代、この分野での名匠にハサン・マスウーディー(英語版)がいる。 中国ではスィーニー体という書法が考案された。現在における有名な書家はハーッジー・ヌールッディーン・米廣仁(英語版)(中: 努伦丁・米广江)である。
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