荒らし行為に対する脆弱性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:59 UTC 版)
「ウィキペディアへの批判」の記事における「荒らし行為に対する脆弱性」の解説
2005年11月に起きたウィキペディアにおけるシーゲンソーラーの経歴論争の結果として、ウィキペディアは非常に好ましくない印象を大衆に与えた。誤った記述は、同年5月からシーゲンソーラーの友人Victor Samuel Johnson jr.によって発見される9月までの間、まったく気付かれることがなかった。ウィキペディアは荒らし行為を、記事が常に直面する問題として認識している。ある利用者は特定の主題に対する不満から、またある利用者は単にウィキペディアを破滅させるために荒らし行為をする。システムを試し信頼性の低さを実証するために、故意に虚偽の情報を記述した例もある。 ウィキペディアはこれらの問題を認識しており、英語版の『ウィキペディアを使った調査』のページ(en:Wikipedia:Researching with Wikipedia)には次のように記述されている。 ウィキペディアが徹底的にオープンであるという性質はすなわち、あらゆる記事は、あらゆる瞬間に、好ましくない状態になり得るということを意味しています。たとえば、膨大な量の編集の中に荒らし行為がまぎれているかも知れないし、また、つい最近荒らされたという可能性もあります。明らかな荒らし行為は通常簡単に発見され、迅速に訂正されますが、ウィキペディアは、判別しにくい荒らし行為に対し、通常の情報源よりも確実に脆弱です。 ウィキペディアには、荒らし行為に対処するための様々なツールが利用者と管理者のために用意されている。またウィキペディアの支持者らは、荒らし行為のほぼすべては短時間のうちに差し戻されると主張している。MITメディアラボのFernanda Viégasと、IBM基礎研究所のMartin Wattenberg、Kushal Daveらは、荒らし編集のほとんどは(英語版においては)5分前後で差し戻されるということを示した。 確かに、ページの白紙化や不愉快な文章の追加など大掛かりな荒らし行為のほとんどはすぐに差し戻されるが、一方でさほど明白でない荒らし行為は訂正に長い時間が掛かる。たとえば、ある利用者によってキング牧師記念日 (en:Martin Luther King, Jr. Day) の記事に人種差別主義的な編集が行われたときは、差し戻されるまでに4時間近くの時間を要した。コラムニストのSujay Kumarは次のように論評した―「ウィキペディア(ここでは英語版)はほとんどの荒らし編集が5分以内に除去されると言っているが、気づかれずにいる虚偽の記述もある。ラリー・キングの鼓腸に関する異様な記述は1ヶ月もの間掲載され、ヒラリー・クリントンが卒業生総代であったという小さな誤りは2年近くの間訂正されなかった」。 判別しにくい荒らし行為の例として、著作権侵害の虚偽主張で記事を破壊するというものがある。寄稿者が類似の情報をウェブフォーラムに投稿することで、それらの投稿が、ウィキペディアへの膨大な寄稿を破壊するための非常に効果的な手段として使用されたことがある。「6.5mmグレンデル弾」(6.5 mm Grendel) の記事では、寄稿者とフォーラム管理者の証言を得ることでその行為を無効化することができた。しかし「50口径ベオウルフ弾」(.50 Beowulf)の記事では、発見があまりに遅すぎたため、寄稿のうちの大部分が失われるという結果になった。 虚偽記事が堂々と存在したことさえある。レバノン沖地中海に存在すると主張された「ポルシェジア島」(Porchesia) は虚偽記事であるとして削除されると、「存在するものをなぜ抹消するのか」と異議を唱えるウィキホリック達によって直ちに再生された(この騒動の顛末はアンサイクロペディア英語版に「ポルシェジアの虐殺」として記録された)。「ビコリム戦争」(Bicholim Conflict) は2012年末に削除されるまで5年間存在し、しかもその間に良質の記事にまで選ばれた。古代ローマの人物でカエサル暗殺に関与したと主張される「ガイウス・フラウィウス・アントニヌス」は削除されるまで8年間存在し続け、この種のでっち上げで最もよく知られる例となった。また、ツアタファ・ホリというシガヴェーの王女、エクサハメロン大戦についての詳細、セーラームーンとスーパーマリオブラザーズが融合したセーラーキノコなど、ウィキペディア以外に存在しない多くの架空の人物や事物についての情報が発信されていた。また、でっち上げというでっち上げもあり、2008年の春の1か月以上の期間、あるページではマーガレット・サッチャーは架空の人物であると書かれていた。 悪戯行為の試みは記事の編集だけに留まらない。スコットランドのアラン・マキルレイスは2005年10月、コールセンターで働いていた経歴しかないにも拘らず、イギリス陸軍大尉で多くの勲章を授けられた英雄であるとする自身のウィキペディア記事を作成した。その記事はすぐに、他の利用者によって信頼できない記事とマークされた。しかし、マキルレイスは多くの慈善団体やメディア組織に対しても、自身が記事にあるような人物であると説得するのに成功した。音楽ユニットPeking Dukの記事を書き換えることで、ライブの警備をすり抜けてバックステージに侵入を果たしたファンもいる。 記事本文に対する悪意ある編集は差し戻すのは比較的容易だが、数字や統計に関する編集は見つけるのが遥かに困難であり、さらに長期間にわたって掲載され続けてしまう虞がある。
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