芦屋雁之助版
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1980年から1997年にかけて制作:東阪企画・関西テレビ、フジテレビ系列の『花王名人劇場』→『花王ファミリースペシャル』のシリーズとして放映された。芦屋雁之助の主演でその後の代表作となった。『名人劇場』の後期 - 『ファミリーSP』の時代はタイトルから「放浪記」が削られ、『裸の大将』として放送されたこともあった。作品は『裸の大将放浪記』との題名だった前期(1980年 - 1983年)と、『裸の大将』のみになった後期(1984年 - 1997年)に大きくわけられる。 『花王名人劇場』は当初、漫才ブームの揺籃としての役割が大きかったが、それが下火になるとともに『裸の大将』の存在感が増していった。番組プロデューサー澤田隆治は、このドラマシリーズによって『名人劇場』後半の5年が存続できたと著書に記している。 もともとは1964年、雁之助が花登筺と袂を分かち、弟・小雁らと旗揚げした劇団「喜劇座」で初演した舞台『裸の大将放浪記』(脚本:藤本義一)がベースになっている。当時劇団の座付き作家だった藤本が、雁之助の風貌が山下清に良く似ている事を指摘、それをヒントに雁之助を山下役に1本の舞台劇に仕上げ、上演したところ評判となった。1969年に喜劇座は解散となったが、人気の演目だった。ちなみに1980年6月1日放送の第1作『爆笑メルヘン・裸の大将放浪記』では原作表記以外に「原案:藤本義一」とのクレジットが入っている(ドラマの脚本は中村勝行)。 雁之助版は前期と後期に分けられているが、これは主演の雁之助が「50になって裸になるのはしんどい」と言って降板を申し入れたのを機に、1983年6月の13回目で一旦終了し、ストーリー上でも清が亡くなるところで前期が終わる。 その後、「名人劇場」では雁之助主演で、淡路島で肛門科を開業する医師を主人公にした「落書きドクトル繁盛記」をスタートさせ、1983年10月から翌1984年9月まで5作を制作したが、同じ放送枠での山下清役からの転身は視聴者の違和感を呼ぶ一方、「裸の大将」の続編が待望された。こうした熱い要望を受け、翌1984年10月に復活。13回目で死亡した前期とはストーリーは完全に区切り、後期の初回ではすでに清が天才画家として有名になったところから始まる。1997年の最終回では放浪癖をやめて、八幡学園に戻ったところで終り、1980年6月の開始から17年にわたる物語が完結した。その後、2004年4月7日。主演である芦屋雁之助が逝去した。
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