芦屋雁之助版とは? わかりやすく解説

芦屋雁之助版

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 00:11 UTC 版)

裸の大将放浪記」の記事における「芦屋雁之助版」の解説

1980年から1997年にかけて制作東阪企画関西テレビフジテレビ系列の『花王名人劇場』→『花王ファミリースペシャル』のシリーズとして放映された。芦屋雁之助主演その後代表作となった。『名人劇場』の後期 - 『ファミリーSP』の時代タイトルから「放浪記」が削られ、『裸の大将』として放送されたこともあった。作品は『裸の大将放浪記』との題名だった前期1980年 - 1983年)と、『裸の大将』のみになった後期1984年 - 1997年)に大きくけられる。 『花王名人劇場』は当初漫才ブーム揺籃としての役割大きかったが、それが下火になるとともに裸の大将』の存在感増していった。番組プロデューサー澤田隆治は、このドラマシリーズによって『名人劇場後半5年存続できたと著書記している。 もともとは1964年雁之助花登筺と袂を分かち、弟・小雁らと旗揚げした劇団喜劇座」で初演した舞台裸の大将放浪記』(脚本藤本義一)がベースになっている当時劇団座付き作家だった藤本が、雁之助風貌山下清良く似ている事を指摘、それをヒント雁之助山下役に1本の舞台劇仕上げ上演したところ評判となった1969年喜劇座は解散となったが、人気演目だった。ちなみに1980年6月1日放送第1作爆笑メルヘン裸の大将放浪記』では原作表記以外に「原案藤本義一」とのクレジット入っている(ドラマ脚本中村勝行)。 雁之助版は前期後期分けられているが、これは主演雁之助が「50になって裸になるのはしんどいと言って降板申し入れたのを機に1983年6月13回目で一旦終了しストーリー上でも清が亡くなるところで前期が終わる。 その後、「名人劇場」では雁之助主演で、淡路島肛門科開業する医師主人公にした「落書きドクトル繁盛記」をスタートさせ、1983年10月から翌1984年9月まで5作を制作したが、同じ放送での山下清役からの転身視聴者違和感を呼ぶ一方、「裸の大将」の続編待望された。こうした熱い要望を受け、翌1984年10月復活13回目死亡した前期とはストーリーは完全に区切り後期初回ではすでに清が天才画家として有名になったところから始まる。1997年最終回では放浪癖をやめて、八幡学園戻ったところで終り1980年6月開始から17年にわたる物語完結したその後2004年4月7日主演である芦屋雁之助逝去した。

※この「芦屋雁之助版」の解説は、「裸の大将放浪記」の解説の一部です。
「芦屋雁之助版」を含む「裸の大将放浪記」の記事については、「裸の大将放浪記」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「芦屋雁之助版」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「芦屋雁之助版」の関連用語

芦屋雁之助版のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



芦屋雁之助版のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの裸の大将放浪記 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS