航空機用火器としての復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:46 UTC 版)
「ガトリング砲」の記事における「航空機用火器としての復活」の解説
戦闘機の主武装は、最初期から単銃身の機関銃・機関砲が主流であった。高速で飛行する物体が同じく高速で飛行する物体を正確に射撃することは極めて困難であり、多数の弾丸をばらまくことで命中率を高めるのが必然の選択であった。戦闘機の黎明期当時は、既にガトリング砲は陳腐化した兵器であり、戦闘機への搭載など考えられもしなかった。 しかし、1930年代から全金属製の軍用機が普及すると、防弾能力の付与が行われるようになり、戦闘機搭載の機関銃砲はこれに対応することが求められた。これに対して、主に英米は小口径機関銃を多数搭載することで対処したが、搭載位置が離れた機関銃の射線を、目標物に集中させるには、その射程が限られるという問題があった。主にドイツは機関砲の大口径化で対応したが、弾丸の速度や軌道の面で、ひいては命中率で小口径銃に劣るという欠点があった。同時に軍用機の速度は高速化し、その点でも命中率の低下は問題であった。 1940年代の半ばからジェット機が実用化されると、プロペラの干渉の問題が無くなったため、戦闘機においては胴体部分に多数の機銃を集中配備するようになり、射線の問題についてある程度は解決がなされたが、まだ不十分であった。同時に軍用機の高速化と構造強化も一層進展したため、新たな対処を迫られた。 第二次世界大戦末期にドイツで開発されたリヴォルヴァーカノンは、有効な解決手段と思われた。砲身は単一であるが発射速度が従来の機関砲の数倍に向上し、小口径機関砲を多数装備するのと同等の効果を、命中率の低下なしで達成するものである。戦後、欧米諸国に広く普及した。 この趨勢の中、アメリカ空軍は、リヴォルヴァーカノンより高い発射速度を求めて、ガトリング方式に着目し、陸軍博物館倉庫にあった骨董品のガトリング砲に電動モーターを取り付けたものを作成、実験を行い、期待以上の大きな発射速度と弾丸の集中的着弾による強力な破壊効果を確認した。有効性が認められたガトリング砲は、ゼネラル・エレクトリック社製M61/M61A1「バルカン」(製品名:米GE製品だが商標登録はスイス・エリコン社)として完成し、現在に至る。 M61/M61A1「バルカン」や同種機構の外部動力式自動火器は短時間で実包を大量消費するため、給弾機構はベルトコンベヤーのような構造をしている。他の単銃身機関銃に採用されているリンクベルトはガトリング砲では弾薬消費のスピードが速すぎるため、張力に耐えられず使用できないことから「レール給弾」(砲と弾倉をチューブで繋ぎ、その中に弾倉内の砲弾を電動モーターで送り出す)方式が用いられる。 反面、ガトリング砲の根本的な欠陥である重量過大と構造の複雑さによる信頼性の低さ、またM61が使用する20mm弾の一発あたりの破壊力の低さ、そして「超高速のジェット機同士の空戦では、ガトリング砲が回転作動し始めてから給弾・発射されるまでのほんの一瞬の間でさえ、後れをとって勝敗を分けてしまう」欠点が指摘されている。そのため欧州の戦闘機においては、20mm台~30mm口径のリヴォルヴァーカノンが現在も採用されている。
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