松山聖陵高等学校
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松山聖陵高等学校 | |
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北緯33度51分22.92秒 東経132度44分27.3秒 / 北緯33.8563667度 東経132.740917度座標: 北緯33度51分22.92秒 東経132度44分27.3秒 / 北緯33.8563667度 東経132.740917度 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人松山聖陵学園 |
設立年月日 | 1961年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科 工業科 |
学校コード | D138320100071 |
高校コード | 38506K |
所在地 | 〒791-8016 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
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松山聖陵高等学校(まつやませいりょうこうとうがっこう)は、愛媛県松山市にある私立高等学校。
設置学科
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校舎
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体育館
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グラウンド
教育方針
- 教養の高い、健康で有為な人材の育成
- 責任感強く、誠実穏健な人材の育成
- 進取独立の気風と創造性に富む人材の育成
沿革
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- 1960年12月 - 松山市久万ノ台1112番地に学校法人松山聖陵学園設立認可。
- 松山聖陵高等学校 普通科、工業科(工業化学、自動車工学、建設)設立認可 生徒定員900人(普通科300人、工業科600人)
- 1961年4月 - 松山聖陵高等学校設置。
- 1964年4月 - 機械科1学級新設、生徒定員1,035人(普通科300人、工業科735人)。
- 1966年4月 - 建設科生徒募集停止、建築科・土木科1学級新設。
- 1969年4月 - 推薦入学制度実施、土木科生徒募集停止、生徒定員1,260人(普通科450人、工業科810人)
- 1970年
- 3月 - 硬式野球部設置、校歌制定。
- 4月 - 工業化学科生徒募集停止。
- 1978年1月 - 第57回全国高等学校ラグビーフットボール大会に初出場。
- 1992年4月 - 特進コース設定。
- 2007年12月 - 生徒定員1,260人(普通科660人、工業科600人)。
- 2008年4月 - 新校歌制定、特進コース男女共学化。
- 2012年4月 - スポーツコース設立。
- 2014年8月 - 第1グラウンド人工芝化。
- 2015年4月 - 自動車工学科で女子受付開始。
- 2016年8月 - 野球部が創部以来初めて甲子園に出場(第98回全国高等学校野球選手権大会)。
- 2018年3月 ‐ 野球部が創部以来初めて春の甲子園に出場(第90回記念選抜高等学校野球大会)。
アクセス
著名な出身者
- 藤岡弘、(俳優)
- 管家修一(元社会人野球選手)
- 不老伸行(サッカー選手)
- ノッチ(お笑い芸人、デンジャラス)
- 松田孝志(競輪選手、日本人初のジュニア世界自転車選手権優勝者)
- 松本貴治(競輪選手)
- 金子正次(脚本家、俳優)本名、金子松夫。脚本家としてのペンネームは鈴木明夫
- 嘉陽宗一郎(社会人野球選手)
- アドゥワ誠(プロ野球選手)
- 土居豪人(プロ野球選手)
- 河本結(プロゴルファー)
- 清川流石(プロサッカー選手)
- ライジングHAYATO(プロレスラー)
- 三好優作(ラグビー選手)
関連項目
- 愛媛県高等学校一覧
- 日本の工業高等学校一覧
- 愛媛日産自動車 - 1986年、学園理事長として当該会社代表取締役の岡勉が就任。2011年より子息の豊氏が理事長職を引き継ぐ。
- 日産愛媛自動車大学校 - 本校の自動車工学科と連携。
外部リンク
聖陵高校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 15:18 UTC 版)
「プレイボール (漫画)」の記事における「聖陵高校」の解説
谷口が2年生時の夏の大会の4回戦で対戦。強豪格のシード校。『2』でも夏の大会3回戦で再戦したが、あと一歩及ばずリベンジを逃した。 西田:小野大輔 中山等の同学年でありキャプテン。守備位置は捕手。墨谷の力量を認めつつもホームベース上にキャッチャーマスクを置き走塁妨害するなど卑劣な手段を使った(後に審判に咎められ、それでも置き続けたため、最終的には審判にキャッチャーマスクを蹴飛ばされている)。最終的に墨谷に追い込まれたが「やつら(墨谷)のしぶとさを見習おうじゃねえか」とキャプテンらしい一面も見せた。打撃は先発した松川が敬遠策を余儀なくされるほどの豪打。 アニメではより卑劣な人物に描かれ、チームメイトも試合中には不満があったものの、それは監督が入院して不在の為にチームの中心として気負って来た故のことだった。そのことを理解していたチームメイトたちに諭されて肩の荷が下り正々堂々と勝負を挑むが逆転サヨナラを許し、みんなで涙を流しながら奮闘をたたえあった。 『2』では同級生と共にOBとしてチームのコーチをしており、権限は後任のキャプテンである刈谷よりも上回っている描写がある。 岩本:奈良徹 右腕のアンダースローのエース。先発したが格下と思った墨谷に対し途中降板を予定していたが西田に完投を指示される。墨谷の苦手とするインシュートを徹底して投げるが後半は失速し、山口にサヨナラホームランを喫する。原作では終盤自分中心になった場面が見られ、西田に窘められたが、アニメでは気弱ながら原作よりも良い性格になっており、逆に西田をなだめる役柄になっていた。 木戸 聖陵の控え投手で左腕。インシュートが投げられなくなった岩本を見かねて西田がリリーフさせるもエースの岩本が打たれているのをみて全く本来の能力は発揮出来ず、再び岩本にマウンドを譲る(岩本は一旦、ライトへの守備に就く)。デッドボールなど全く良いとこなしであった。挙句の果てにマウンドで泣きだした。 しかし、翌年が舞台の『2』では3年生となり、エースとして成長し4回戦で当たって墨谷打線を抑えていた。 藤岡 2番打者の遊撃手。アニメでは、柳瀬という名前に変更されている。マウンドで疲労困憊の岩本を気遣う器量の良さを見せた。 江原:関直人 左翼手で5番打者。クリーンナップだけあって打撃は良いが、守備に問題があり、終盤の守備固めで交代する。アニメでは3番に変更されている。 大内 猛 『2』から登場する丸井達の同学年であり、守備位置は一塁手。通称「モウちゃん」。100kgの体格に似合わず気弱な事なかれ主義であり、上級生の荒井と小谷に理不尽ないじめを受けている。 打者としては引っ張り専門のスラッガーだが、打率は悪く、控えに回されることが多い。一方で、広瀬の暗示にかかって(いじめに対する意趣返しのために)一塁へ強いゴロを狙い打ちし続け、同ポジションを守る荒井をダウンさせるなど才能の片鱗を高く評価されてもいる。 広瀬 「2」から登場する大内の同級生でありスタメンを狙い助け合う相棒。守備位置は二塁手。 守備は上手いが打率が低いため控えに甘んじている。自分が医師の息子であることから心理学の一部を身につけている。荒井達からの理不尽なシゴキに反発し、大内に暗示をかけたり助言を送るなど何かと気にかけている。
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