編集長時代とは? わかりやすく解説

編集長時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/06 19:32 UTC 版)

ファーンズワース・ライト」の記事における「編集長時代」の解説

ヘナバーガーがウィアード・テイルズ創刊し当初初代編集長エドウィン・ベアードが編集作業行っていたが既に4ドルから6ドル現在の5084ドル相当)の負債があり、これらのためにヘナバーガーは、他の雑誌タイトル売却した印刷会社ポピュラー・フィクション・パブリッシングなどと交渉し隔月にするなどして持ち堪えていた。エドガー・アラン・ポーファンだったヘナバーガーは、ホラー作品絞った専門誌望んでおり、そのためにウィアード・テイルズ何としても守りたい一心やり繰りしていたがライトは、ヘナバーガーからコントロールを預かると紙面刷新図ったライトは、ウィアード・テイルズ掲げる「ユニークなストーリー」を達成するため幅広い作家陣集めた剣と魔法ファンタジー、『英雄コナン』のロバート・E・ハワード宇宙科学呪文折り合わせた宇宙的恐怖コズミック・ホラー)のラヴクラフト探偵小説シーベリイ・クインE・ホフマン・プライス、オリエンタルファンタジーのフランク・オーウェン、SF作家エドモンド・ハミルトン、ポール・フレデリック・エルンスト、ニクジン・ウィルストン・ディアルイスなどである。これは、ヘナバーガーがポーマッケンのような作品絞ったために売り上げ落ち込んだ、その解決策といえるE・ホフマン・プライス1925年7月号から6ヶ月Stranger from Kurdistan』を執筆した時、イエス・キリストサタンが会う場面がありライトは、読者の反応を心配した。しかし好評を受け、彼は、1929年12月号に再集録したプライスの『The Infidel's Daughter』が出版された時は、クー・クラックス・クランから苦情来ている。ジョージ・フィールディング・エリオットの『The Copper Bowl』では、人をネズミ食わせる拷問なども登場したライトは、掲載している。 ヘナバーガーは、より目立つようにベッドシーツサイズのパルプ紙に切り替えていたがライトは、これを標準の物に戻した。また表紙イラストレーターマーガレット・ブランダージ起用するなどした。ブランダージは、女性ヌード怪物を得意としていた。彼女は、シーベリイ・クイン作品イメージして表紙デザインしていた。ヴァージル・フィンレイは、1935年にはじめて作品ライト送ったライトは、彼の作品パルプ雑誌では、上手く印刷されていない考え印刷会社交渉するなどした。1939年ニューヨーク市長フィオレッロ・H・ラ・ガーディアは、性的な発刊物を取り締まるキャンペーン行い、これは、効果あったらしく表紙は、穏やかなデザイン移行していった。致命的だったのは、1938年デラニー社がウィアード・テイルズ買収しカバーイラスト報酬50ドル値下げしたことにあった当時平均的に90ドルだった報酬対しライトは、新人フィンレイにも100ドル支払っており、これは、明らかに品質低下招いた長年ウィアード・テイルズは、競合相手がいない状態が続いた1926年SF専門誌アメージング・ストーリーズ』や1939年には、ジョン・W・キャンベル編集務める『アンノウン』が登場する取り分けロバート・E・ハワードのような剣と魔法ファンタジーは、根強い人気があったもののSF人気高まっていることをライト承知しており、フリッツ・ライバー作品は、はじめライトによって断られ、彼がアンノウン持ち込むキャンベルからは、「これらは、ウィアード・テイルズ持っていく方が良い。」と返されてしまった。結局ライバー作品は、ウィアード・テイルズから発表された。ウィアード・テイルズSFファンタジーがどの程度比率掲載されるかは、作家陣議論していたらしくライト頭を悩ませていた。この時代多くファンタジー作品は、ウィアード・テイルズから発表され続けた。しかしファンタジー作品トールキンのような首尾整った世界観作品登場し始めこれまでの西部劇の銃を剣に置き換えたマッチョ美女路線からは、人気移っていった。 1936年ロバート・E・ハワード自殺1937年ラヴクラフトが癌による栄養失調死去クラーク・アシュトン・スミスは、報酬が低いとして作家引退してしまう。1938年には、デラニー社がポピュラー・フィクション・パブリッシングからウィアード・テイルズ買収し利益向上を計り印刷用紙サイズ変更行った低品質で厚い紙と価格調整のためにページ数を増したウィアード・テイルズは、分厚くなったものの売り上げは、目に見え悪化し、すぐにページ数が減らされ発刊隔月になってしまう。ライト1920年から苦しみ続けたパーキンソン病により1940年6月12日ニューヨークにおいて51歳で死去したウィアード・テイルズ1940年11月号にシーベリイ・クインによるライトへの訃報捧げられた。

※この「編集長時代」の解説は、「ファーンズワース・ライト」の解説の一部です。
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