谷川編集長時代
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1990年代には格闘技業界のオピニオン誌的地位にあり、打撃系格闘技イベントK-1が登場してからは、当時の編集長谷川貞治(1990年就任)が大きく肩入れをして、主催者の石井和義のブレーンとして発展に寄与した。これが繋がって、後に谷川がK-1運営会社FEGの社長を任せられることとなった。谷川編集長時代になってしばらくたつと競技を行わない格闘技、武術を原則掲載しない方針を取った。そのため堀辺正史の連載が終了すると骨法が載らなくなった。観戦派色も強くなっていった。1986年に創刊された『ゴング格闘技』とともに長く観戦派のための格闘技雑誌は2誌体制が続くことになっていく。骨法が競技会である『骨法の祭典』を開催する方針を打ち出すと骨法が誌面に復活し、大きく肩入れもする。1995年9月ごろから伝統系の空手は掲載されなくなる[要出典]。
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