結成〜地球デビュー
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1982年12月末、早稲田大学にて、ダミアン浜田地獄皇太子殿下を中心に結成された(当初のバンド名は、『は、は、は、は、浜田さんバンド』)。オリジナル構成員は、ダミアン浜田地獄皇太子殿下(リーダー、ギター)、デーモン閣下(ボーカル)、エース清水長官(ドラム)、ゾッド星島親分(ベース)である。のちに魔女RYO子嬢がキーボーディストとして参加(第二期まで在籍したが、1ヶ月程度で脱退)。この時期が第一期聖飢魔IIとされる。 1983年9月 - 10月にかけて、第一次悪魔事異動が行われ、エース長官は一度脱退し、二代目ドラマーとしてジード飯島大将が参加、第二期聖飢魔IIとなる(1983年9月 - 1985年3月まで)。1984年3月、結成1周年を記念して行われる予定だったミサは、ダミアン殿下の突然の帰獄のため急遽『聖飢魔II解散ミサ』となった。しかし解散が決まる前に応募していたコンテストに勝ち進んでいたことを理由に、何とか存続している状態が続くことになった。残されたデーモン閣下・ゾッド星島親分・ジード大将は、後の構成員Sgt.ルーク篁III世参謀とともに紫馬肥という新たなるバンドの活動を始めていたが、その直後にダミアン殿下が1年の猶予で復帰したことにより、解散は撤回された。その後、ダミアン殿下からデーモン閣下に統帥権の移行・即ちリーダーの交代が漸次行われた。 1984年6月、マツダカレッジサウンドフェスティバル(MCSF)に出演。このとき見に来ていたソニー付けのプロデューサーである(尾崎豊などの担当でもあった)「サテュロス」丸沢和宏が聖飢魔IIを目に留め、CBSソニーのオーディションに誘っている。エース長官は第二期聖飢魔IIでは初代ドラマーからギタリストに転向して再参加、再脱退。1984年8月、エース長官再脱退後に一時期参加していたジャントニオババヤシの後続のギタリストとして、再々参加する。1984年9月頃、CBSソニーのオーディションで決勝まで駒を進め特別賞を獲得。やがて地球デビューが決まる。1985年2月18日、王位継承ミサによりダミアン殿下脱退。後継ギタリストとしてガンダーラ・サンゲリア・チグリス・ユーフラテス金子が参加した。ジード飯島もこの時期に脱退し、後続のドラマーとしてジャギ古川が参加。ジャギ古川の在籍した3ヶ月ほどの期間が第3期聖飢魔IIとされる(1985年3月 - 1985年6月まで)。この時期地球デビューに向けたオーディションの結果、1985年6月にジェイル大橋代官とライデン湯沢殿下が加入した。この悪魔事異動により、地球デビュー構成員が固まる。これが第4期聖飢魔IIとされる。 9月に地球デビュー大教典『聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる』を発布(発売)。『BURRN!』において同誌ディスクレビュー史上空前絶後の『0点』をつけられたことも話題になった(2020年12月19日に行われたヴィデオ黒ミサ&生トークツアー『特別給付悪魔』の広島公演にて、『BURRN!』現編集長の広瀬和生が当時の編集長による無礼な評価を公開の場で直接謝罪。『BURRN!』2021年3月号に誌上初の聖飢魔II特集が組まれることになった。これにより、両者の因縁に終止符が打たれた)。その一方で、売り上げは日本のヘヴィメタル史上初となる10万枚超えを記録したこともまた話題となっている。1986年4月、小教典『蝋人形の館』と、大教典『THE END OF THE CENTURY』を同時発布する。(蝋人形の「蝋」の字は正しくは蠟(U+881F)であるが、一部の日本語環境では表示できないため、以後本文中では基本的に「蝋」と表記する)『ザ・ベストテン』出演などで注目を集め、大教典はオリコンチャート5位を記録し、小教典は初登場17位ながら30万枚をこえる大ヒットとなり、売り上げ以上に一大ムーブメントとなる。バンドのキャラクターグッズやゲームソフト『聖飢魔II 悪魔の逆襲』が発売されるほどだった。ちなみにファミコン版のBGMはメーカー側のオリジナル曲だが、MSX2版『聖飢魔IIスペシャル悪魔の逆襲』では「EL・DO・RA・DO」や「アダムの林檎」などの、聖飢魔IIの曲が採用されている。
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