結成〜全盛期
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1959年3月8日、元アメリカ海軍中佐ジョージ・リンカーン・ロックウェルは、国有財産に反対するため自由経済国家社会主義世界連合(WUFENS)を結成し、同年12月に党名をアメリカ・ナチ党(NSP)に改称した。ANPはアメリカでのナチズム復活を目指し、アドルフ・ヒトラーのナチ党の理念や政策に大きく立脚しており、党旗や制服もナチ党を模倣したものを採用していた。ロックウェルはバージニア州アーリントンの未亡人が所有する邸宅を購入して「ストームトルーパー・バラック」と名付けて党本部とした。 結成当初はナチズム・白人至上主義を前面に打ち出して非合法路線を取っていたが、1960年代後半に入るとロックウェルは地方選挙に候補者を擁立するなど合法路線に切り替え、「ジークハイル」の掛け声やハーケンクロイツ、「ホワイト・パワー(英語版)」の理念などを控えるようになった。1967年1月1日には党名を「国家社会主義白人党」(NSWPP)に変更し、一部の強硬派の党員を追放した。この党名は全米黒人地位向上協会(NAACP)を意識したものと言われている。 ANP/NSWPPは1966年から1967年にかけて全盛期を迎え、党首であるロックウェルの名声も高まった。ロックウェルは1966年4月には『PLAYBOY』の「プレイボーイ・インタビュー」から取材を受けるほどの著名人となっており、500人の支持者が存在した。 1967年6月28日、買い物から帰ったロックウェルは「ストームトルーパー・バラック」に続く車道が伐採された木で封鎖されているのを発見した。ロックウェルは「近所の子供の悪戯」と判断して党員に除去を指示するが、直後に背後から銃撃された。銃弾はロックウェルの車に当たり、跳ね返った銃弾はロックウェルの側をかすめた。犯人に逃げられたロックウェルは、6月30日にアーリントン郡裁判所に銃の携帯許可を申請するが却下されている。 8月25日、ロックウェルは自宅近くのコインランドリーで再び銃撃された。銃弾はロックウェルの胸に命中し、彼は車の助手席から這い出して道路に倒れ込み死亡した。犯人のジョン・パトラー(英語版)は元ANP/NSWPP党員で、ロックウェルに「マルクス主義者」として追放された人物だった。
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