結成〜初のヒットとは? わかりやすく解説

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結成〜初のヒット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:32 UTC 版)

レイジー」の記事における「結成〜初のヒット」の解説

1973年小学校からの同級生である景山高崎田中バンド結成それぞれ別の高校進学後、景山井上を、高崎2年先輩(既に文化祭始め何度競演重ねる仲)の樋口誘いバンド加入ディープ・パープル楽曲の名前をとって、バンド名を「レイジー」とする。 初期吉田拓郎泉谷しげるカバー行っており、演奏技術の向上とともにハードロックカバーを行うようになった1977年2月朝日放送の『ハロー・ヤング』に出演ディープ・パープル「BURN」演奏。これがかまやつひろし認められデビュー誘いを受ける。同年6月デビューのため上京同年7月RCAよりデビュー。本来はハードロック志向バンドだったにもかかわらず制作サイド意向によりベイ・シティ・ローラーズのようなイメージ要求されることになり(景山によると「上京してすぐに美容室に連れて行かれ、髪を切られた」とのこと)、ニックネームお揃いコスチューム与えられた。かまやつはポール・ロジャースデビュー曲書かせるという約束をしていたのだが実現せず実際デビュー曲Hey! I Love You!』は森雪之丞作詞)、馬飼野康二作曲)のコンビよるものとなった以降音楽プロダクションとしてはトライアングル・プロダクション所属するが、プロデューサーその後角松敏生オメガトライブ等を手掛けるアウト・キャスト藤田浩一と元ザ・タイガース森本太郎務めディレクターは元パープル・シャドウズ岡村右が務めるなどグループ・サウンズ系の人物深く関わっていた。この方針はメンバー困惑させることになった。しかし、「売れれば好きなハードロックができる」との説得を受け、これに応じることになる。後に景山は「生き残るということ考えればアイドル路線は)妥当なものだったと今なら思えるが、当時ショックの方が大きかった」と、高崎は「ロック弾けてもポップ弾けない分かったので、将来のことを考えて音楽性広げるために真面目に練習したが、ストレス溜まった」と語っている。 1978年3枚目のシングル赤頭巾ちゃん御用心』がオリコン32位にランクインし、レイジーの名を一躍有名にする。しかし、自分たちが望まない路線でのヒットメンバー苦悩をさらに強くするものであった

※この「結成〜初のヒット」の解説は、「レイジー」の解説の一部です。
「結成〜初のヒット」を含む「レイジー」の記事については、「レイジー」の概要を参照ください。

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