結成〜不遇の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/03 15:29 UTC 版)
「ブライアン・セッツァー・オーケストラ」の記事における「結成〜不遇の時代」の解説
結成当時はグランジが流行しており、ビッグバンドでの成功は難しい状況の中、ツアーに出て地道にライブ活動を行う。初期はジャズ色が強く、1994年にリリースされた1stアルバム『ザ・ブライアン・セッツァー・オーケストラ』は、収録曲の大半がジャズのスタンダード・ナンバーのカバーであり、セールス面も伸び悩み、レコード会社との契約も打ち切りとなった。 1995年にリリースされた2ndアルバム『ギター・スリンガー』では、オーケストラのメンバーを大幅に入れ替え、プロデューサーにはフィル・ラモーンを起用し、ジョー・ストラマーと数曲共作したため、前作よりもブライアンが思い描いていた「スウィング・ロック」に近い作品となった。当初このアルバムは日本の東芝EMIの原盤協力のもと、制作されたアルバムで、翌年にインタースコープから収録曲を大幅に変えたコンプリート盤を正式な2ndアルバムとして発表した。しかし、いずれもセールス面では伸び悩む結果であった。
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