結成から2012年
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2006年、俳優の酒井一圭が映画『クラッシャーカズヨシ』の撮影中に事故で入院、役者生命の瀬戸際に立たされた。その入院中に幾度となく夢に内山田洋とクールファイブが出てきたため何らかの啓示かもしれないと考え、ムード歌謡コーラスグループを結成することを思い立つ。 酒井は白川裕二郎と小田井涼平を「紅白歌合戦を目指そう!親孝行しよう!」と誘い、さらに林田達也・友井雄亮・後上翔太を加えて6人編成となった。酒井・白川・小田井・友井は俳優、林田はロックバンドの元ボーカル、最年少の後上は東京理科大学を中退という異色の経歴を持つグループとなり、いずれも本格的に歌謡曲を歌った経験はない状態で2007年にスタート、これが純烈結成の年となる。 約3年に及ぶボイストレーニング・下積みを経て、2010年6月23日にユニバーサルミュージックから『涙の銀座線』でメジャーデビューしたが、2012年に契約を打ち切られた。歌える場所を求めて、老舗キャバレー、健康センターやスーパー銭湯などで地道に営業活動を続けた。
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