結成から2009年2月までのデモ活動
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「反独裁民主戦線」の記事における「結成から2009年2月までのデモ活動」の解説
2006年(平成18年)10月、スラユットが暫定首相に着任した後しばらくは、クーデターに批判的な市民の多くからも今後の選挙に期待が寄せられていたが、2007年(平成19年)5月に憲法裁判所が2006年下院総選挙における選挙違反を理由として、タクシン政権下の与党であったタイ愛国党に対して解党を命じると、事態は急速に悪化し、団体のデモ活動は活発化した。 2007年憲法の公布後、同年12月に下院選挙が行われ、旧愛国党員を含む人民の力党が勝利し、2008年(平成20年)1月にタクシン派のサマック・スントラウェートが首相に就任したことをうけ、反独裁民主戦線の活動は沈静化した。しかし、同年3月に上院選挙でも人民の力党が勝利したことを受け、5月頃から反タクシン派である民主市民連合のデモ活動が活発化すると、これに対応して活動を再開した。 同年9月、バンコク都ドゥシット区の首相府を占拠する民主市民連合と衝突し、反独裁民主戦線の男性1人が死亡、約40人が負傷する事件を起こした。 同年12月には人民の力党の解党と、公民権停止の措置を受けて首相を失職したソムチャーイ・ウォンサワットの次の首相に就任した反タクシン派のアピシット・ウェーチャチーワに対して退陣と選挙実施を求めて約3万人のデモ参加者を動員し、王宮前広場で反政府集会を開いた。その一部は国会を包囲し、首相の施政方針演説を延期させた。 2009年(平成21年)2月には約1万人のデモ参加者で首相府を包囲した。
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