精神医学的見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:07 UTC 版)
精神医学関係者は自己破壊衝動が作品に投影された「滅びの文学」が多くの人々の共感を呼ぶ事実から、太宰治の精神病理そのもの、そして太宰が受け入れられる素地には重要な問題提起が孕まれていると考えた。 1936年11月の東京武蔵野病院入院時、主治医の中野嘉一は太宰に精神病質者(サイコパス)の診断を下している。中野は薬物中毒のベースには精神病質があると考えたのである。この診断を受けて精神科医の宮城音弥は、「創造性は社会性的適応性と逆相関していて、天才は社会的適応性を犠牲にして創造的活動をおこなうもの」であるとして、太宰治天才説を提唱した。 大原健士郎は、太宰の繰り返される自殺企図とその自殺企図を繰り返し小説の題材としていることを指して、「太宰は自殺体質とも呼べる精神病質者」との見解を引用した上で、太宰のように自殺をするために生きているかの印象を与える精神病質者は時に見ることが出来るとしている。その上で太宰は自己不確実性人格であり、自己不確実性のゆえに抑うつ感、無力感、依存性が高いため、薬物に依存して自殺企図を繰り返すことになったとし、自殺傾向が強い上に女性への依存傾向も高いため、自殺企図の中でも心中を複数回起こすことに繋がったと分析している。また無力感にさいなまれる自己不確実性人格でありながら、強い自己顕示欲があったため、言動や作品中に多くの虚言、矛盾が見られることになったとしている。しかしこのような太宰の特性が創造した作品内の虚構は、単に真実を叙述した文章よりもより鋭く、現代人の共感を呼ぶことになったと見なした。懸田克躬らは、太宰は自己不確実性の他、無力性、抑うつ傾向、自己顕示性傾向を併せ持った複雑な人格像があったと唱えた。 太宰の精神病質に関しては、島崎敏樹らが太宰の作品には相反する人格傾向の併存が見られ、また色彩感が乏しく、妄想や幻覚体験によるものと思われる記述も見られることから、統合失調症圏ではないかとの説を唱えている。この説では分裂した精神世界を抱えた太宰は、道化を演じつつも外界との緊張関係が解消されることはなく、薬物依存や度重なる自殺企図は現実からの逃避の表れであると見なしている。 また太宰は境界性パーソナリティ障害であるとの見解もある。福島章、町沢静夫は、自殺企図など精神障害の診断と統計マニュアルDSM-IIIの境界性パーソナリティ障害の診断基準を満たすと考えた。精神科医の米倉育男は、太宰には愛憎のアンビバレント的傾向が強いことに着目し、他者との感情的コミュニケーション不全があり、これは境界性パーソナリティ障害の特性であるとする。太宰は仮面を被り、道化を演じることで見せかけの適応を行って人間関係を糊塗し、弱い自己を防衛していたが、その結果として偽りの自己と本当の自己という相矛盾する二つの自己像を抱え込むことになったと見なしている。太宰にとって小説とは偽りの自己を表現することによって本当の自己を守る役割を果たしており、現実との葛藤の中で弱い自己の障壁が崩壊の危機に晒されると、薬物依存や度重なる自殺企図という形での行動化が起きたと分析している。 そして作品中に見られる自己の世界に他者を引きずる込もうとする傾向、強い自己愛などから、自己愛性パーソナリティ障害であるとの見解も見られる。作田明は精神障害の診断と統計マニュアルDSM-IVの自己愛性パーソナリティ障害の診断基準を満たし、境界性パーソナリティ障害よりは人格の統合状態は良かったのではと考えた。 なお、福島章は太宰が境界性パーソナリティ障害とともに、症状的には解離性障害を起こしており、一般には虚言癖と見られる言動や度重なる自殺未遂などの自己破壊的行為は解離性障害の症状であり、その要因としては幼児期の虐待があったと推測している。
※この「精神医学的見解」の解説は、「太宰治と自殺」の解説の一部です。
「精神医学的見解」を含む「太宰治と自殺」の記事については、「太宰治と自殺」の概要を参照ください。
- 精神医学的見解のページへのリンク