第16任務部隊司令官とは? わかりやすく解説

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第16任務部隊司令官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 13:57 UTC 版)

ウィリアム・ハルゼー・ジュニア」の記事における「第16任務部隊司令官」の解説

1940年6月13日中将進級し航空戦闘部隊司令官兼第2空母戦隊司令官に就任合衆国艦隊の全空母指揮権持った太平洋艦隊司令長官合衆国艦隊司令長官アナポリス同期ハズバンド・キンメルであった11月27日アメリカが「日米交渉打ち切り一週間以内何らかの軍事行動に出る」という日本の外交暗号傍受すると、これに対応すべく、ハルゼーは第8任務部隊率いてウェーク島航空機輸送する任務を受ける。この任務は、日本傍受される日本刺激する判断され11月28日秘密裏出港したハルゼーは、万が一日本刺激した際にどこまでやってよいのかキンメル尋ねたが、「(俺が責任を取るから)常識判断しろ」と回答得て、「これまで受けたうち、もっともすばらし命令」と満足したまた、キンメルから「心配だった戦艦連れて行くか?」と気を使われたが、「とんでもない!あんなノロマ逃げなければならない時にジャマなるだけだからいらない」と答えている。12月6日パールハーバー到着予定だったが、途中部隊荒天突入し駆逐艦の1隻に亀裂発生到着予定12月7日正午変更した真珠湾攻撃ニュースホノルル西方150マイル聞くキンメル判断により、9時21分に洋上の全艦船指揮権と、空襲規模来襲方角から日本軍空母は6隻で、予想避退針路北西との情報を得ると、兵力合同索敵行い12月8日日没パールハーバー帰港した。後にウェーク島救援向かおうとしたが陥落の報を聞き12月31日に再び帰港した12月31日キンメル後任として、アナポリス一期下のチェスター・ニミッツ太平洋艦隊司令長官着任1942年2月中旬第16任務部隊編成されハルゼー司令長官任命された。フランク・フレッチャー少将指揮する17任務部隊とともに日本拠点空襲開始する。この空襲では、ハルゼー立案したヒットエンドラン作戦実施され日本米空母捕捉することができなかった。ハルゼー艦隊は、まずマーシャル諸島西部マーカス島空襲し、4月にはドーリットル空襲実施した1942年5月末、皮膚病入院ハルゼーは、麾下にいた第5巡洋艦戦隊司令官レイモンド・スプルーアンス少将を、航空専門であったが、代行指揮官推薦し6月ミッドウェー海戦スプルーアンス勝利を収めており、ハルゼー人物眼は確かなものであった6月14日米本土バージニア州リッチモンド病院移送されついでに歯槽膿漏治療してもらい、8月5日退院する

※この「第16任務部隊司令官」の解説は、「ウィリアム・ハルゼー・ジュニア」の解説の一部です。
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