第四次合戦とは? わかりやすく解説

第四次合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:51 UTC 版)

バタビア沖海戦」の記事における「第四次合戦」の解説

0130以降第七戦隊や各駆逐艦砲撃雷撃により、連合軍巡洋艦2隻(パースヒューストン)は沈没寸前となっていた。0142、被雷したパース急速に沈没していった。682名(士官45名、水兵631名とも)の乗組員のうち、ウォーラー艦長を含む353名が戦死士官23名、兵329名とも)、100名(105名とも)が捕虜生活中に死亡229人が帰国した残ったヒューストンは15ktで走っていたが、機関室への命中弾で機関科兵員全滅次々と命中する敵弾により既に主砲沈黙し僅かに数門の高角砲火を吐くだけになっていた。日本軍はこの艦に対し手を緩め攻撃続けヒューストン艦内大混乱陥った。この時点で既に被雷4本以上、被弾50発以上の損害を受け浮いているのが不思議な状態であった。0156、ヒューストン主砲沈黙したことを確認した第七戦隊第2小隊三隈最上)は砲撃中止続行していた敷波分離してヒューストン止めをさすことにした。三隈水雷長が「敷波魚雷発射してないようだから撃たせてはどうか」と進言した為である。敷波は、0159にヒューストンへ向け九〇式魚雷を1本発射したヒューストン沈没寸前まで機銃反撃していたので、敷波は更に砲撃加えたヒューストンでは既に艦長A・Hルックス大佐戦死しており副長指揮代行していたが、敷波魚雷命中受けて総員退去命令下された総員退去命令後、艦橋への直撃弾で艦長戦死とも)。そして0206、ヒューストン転覆し艦尾から沈んでいった。ヒューストン乗組員1008名中、368名が日本軍救助されたが、そのうち76名は収容所内で死亡266名が戦後帰国した日本艦隊救助した捕虜からパースヒューストン艦名知った

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第四次合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 02:06 UTC 版)

川中島の戦い」の記事における「第四次合戦」の解説

甲陽軍鑑によれば永禄3年1560年11月には武田氏一族の「かつぬま五郎殿」が上杉謙信調略に応じて謀反起こし成敗されたとする逸話記している。勝沼氏は武田信虎の弟である勝沼信友がおり、信友天文4年1535年)に死去しているが、『甲陽軍鑑』では「かつぬま五郎殿」を信友の子息としているが、一方で天文8年頃には府中今井氏今井信甫勝沼氏を継承して勝沼今井氏となっている。信甫の子息には信良がおり、謀反起こしたかつぬま五郎殿」はこの信良を指すとする説がある。 川中島の戦いの第四次合戦は、永禄4年1561年)に行われ八幡原の戦いとも言う。第一次から第五次にわたる川中島の戦いの中で唯一大規模な戦いとなり、多く死傷者出した一般に川中島の戦いと言った場合にこの戦いを指すほど有名な戦いだが、第四次合戦については前提となる外交情勢については確認されるが、永禄4年入ってからの双方具体経過述べ史料は『甲陽軍鑑』などの軍記物語のみである。そのため、本節では『甲陽軍鑑』など江戸時代軍記物語元に巷間知られる合戦の経過述べることになる。確実な史料存在しないため、この合戦具体的な様相現在のところ謎である。しかしながら、『勝山記』や上杉氏感状近衛前久宛文書など第四次合戦に比定される可能性が高い文書残存しているほか、永禄4年契機武田上杉間の外交情勢変化していることから、この年にこの地で激戦があったことは確かである。現代作家などがこの合戦について新説述べことがあるが、いずれも史料基づかない想像が多い。

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