第二話 がま剣法とは? わかりやすく解説

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第二話 がま剣法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 03:37 UTC 版)

腕 -駿河城御前試合-」の記事における「第二話 がま剣法」の解説

第2試合出場者は、藩の槍術師範笹原修三郎と、城下騒がせた凶漢屈木頑之助であった笹原敗れた際に頑之助を討ち取るため、鉄砲まで用意され曰くつき試合である。 寛永5年1628年)、駿河城下舟木道場では毎年5月5日行われる兜投げ」の儀が、人々特別な興味寄せる中で行われた投げられた兜を空中にある内に剣で割るこの儀式を見事成功させた者が、道場主・舟木一伝斎の跡を継ぎ、その娘・千加の婿になるという噂があったためだ。千加想いを寄せるがゆえに「兜投げ」に志願した頑之助だったが、千加は頑之助を婿にするのは何としても嫌だ拒み、一伝斎もそうはなるまい慰めていた。それを屋敷床下聞いてしまった頑之助は、己の実力千加を己のものにするべく執念燃やした。しかし、兜は通常よりも低い位置投げられ、頑之助は剣を兜に当てるとどまり斬ることは叶わなかった。頑之助はその投げ方不服とし、再挑戦要求するが、腕前が十分であれば斬れたはずと一伝斎に退けられた。 その夜、頑之助は姿を消した。その年の秋、千加兜投げ成し遂げた藩士斎田宗之助の嫁となった。しかし、翌年正月駿府城下で斎田宗之助両足の脛を切断され惨殺死体となって発見される悲しみ暮れ千加の姿を見て、その婿となるべく、その年の「兜投げ」には6人の者が志願した。兜にもっとも深く斬り込んだ浪士倉川喜左衛門賞された時、頑之助が姿を現し今一度兜投げ」をさせてくれと頼み込んだ。一伝斎が掛け声もかけず無造作に投げた兜を見事に叩き斬った頑之助は、「兜投げ」を成功させた自分を婿にするよう言募り異を唱える倉川挑発勝負挑む。頑之助は蹲踞したまま剣を構え倉川の剣を身を伏せて避けると両足を脛の辺り両断した。これにより頑之助が斎田宗之助殺害下手人判明したが、頑之助は千加自分差し置いて婿を取ればその者の足を斬り息の根を止める宣言して姿を消す。 その年の「兜投げ」で、兜を投げる役を務めた藩士笹原権八郎千加見初め千加も宗之助の一周忌後に再嫁することを約した。頑之助を恐れ千加のため、権八郎は頑之助を討つべく、槍術師範である従兄笹原修三郎教えを請う。身を低くして構える頑之助を討つにはがもっとも有効と考えた権八郎だが、連れていた供の者達とともに両足を斬られた惨殺死体となって発見された。頑之助を討つため山狩りをすることも話し合われたが、その恐るべき剣法生まれた背景に、強い心と血の滲むような鍛錬があったことを見て取った笹原修三郎は、一介武芸者として頑之助と立ち会うことを望んだ。修三郎願い聞き入れられ城下あちこち御前試合にて頑之助と立ち会いたい旨を記され立て札立てられた。 御前試合当日、頑之助は試合場現れた。誰からも蔑まれ、忌み嫌われた頑之助を、しかし修三郎敬意をもって迎え入れた千加2人の夫と父の死後屋敷にこもり精神病んだらしいことを修三郎告げた後、試合始まった名乗りをあげ、それぞれの得物構え2人。修三郎をかわし、その穂先切り落とした頑之助は、身を低くし脛に斬り込む脛当て切り裂かれ、左脛に刃が食い込みながらも、修三郎切られの柄を渾身の力で頑之助の体に突き立てる大量に喀血痙攣する頑之助に、その腕前賞賛ガマ剣法語り伝えていくと約束する三郎。頑之助はその言葉微笑見せ、「千加……」と一言遺し、絶命した。その姿はひっくり返ったガマガエルのようであった登場人物 屈木 頑之助(くつき がんのすけ) ガマガエルのごとき醜い容貌の男。行き倒れ浪士遺児で、駿府城下で道場を開く舟木一伝斎引き取られてそこで育った。その外見のため、誰からも愛されることなく過ごしたが、剣の天稟があることを見抜いた一伝斎には目をかけられていた。正式な稽古には加われなかったが、その剣技凄み誰もが認めていた。 優しい言葉をかけてくれた千加懸想し、婿となるために「兜投げ」に志願したが、失敗。腕の未熟理由に再挑戦願い退けられた後、富士山風穴にこもり1年修行経て魔剣ともいうべき「がま剣法」を編み出す笹原 修三郎ささはら しゅうざぶろう) 駿河藩槍術師範中村流槍術遣い手長身体格良く武芸者らしい重厚さ屈託なく笑う愛嬌併せ持つ魔剣ガマ剣法陰に隠された、頑之助の心と積んできた修練読み取り兵法者として敬意を払う舟木 一伝斎(ふなき いちでんさい) 舟木道場の主。高齢になり、一人娘千加に婿をとり跡継ぎにしようと考える。剣の才を認めた頑之助を幼少の頃より育てたが、千加拒んだため、頑之助の「兜投げ」を成功させないよう計らった寛永6年の「兜投げ」の儀式の日に頑之助が逃走した後、病に倒れ、その年の7月病没千加(ちか) 舟木一伝斎娘。その美貌に魅かれ、婿になりたがる者が多数おり、頑之助も千加一方的に想い寄せていた。 斎田 宗之助(さいだ そうのすけ) 駿河藩士。「兜投げ」を成功させ、千加の婿となるが、翌年城下惨殺される。 倉川 喜左衛門(くらかわ きざえもん) 浪士寛永5年の「兜投げ」に挑んだ時は失敗したが、翌年には参加者中でもっとも深く斬り込むことに成功。しかし、直後現れた頑之助と立ち会って両足切断される笹原 権八郎ささはら ごんぱちろう) 駿河藩士。一刀流遣い手で、笹原修三郎従弟寛永6年の「兜投げ」の際には、年老いた一伝斎に代わって兜を投げ役目務める。千加結婚約束し、頑之助を討つために供の者に用意させ常に身支度をして備えていたが、あえなく敗れ去る。 原作との相違点 頑之助のガマ剣法は、足元から相手両足切断するだけで、鼻を削ぎ落としていない原作では試合観戦していた千加を頑之助が殺害しているが、精神病んだ千加試合場には来ていない。 試合で、頑之助は修三郎穂先切り落とし、修三郎斜めに切られの柄の先端を頑之助に突き刺して倒している。

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