第二話 がま剣法
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「腕 -駿河城御前試合-」の記事における「第二話 がま剣法」の解説
第2試合の出場者は、藩の槍術師範・笹原修三郎と、城下を騒がせた凶漢・屈木頑之助であった。笹原が敗れた際に頑之助を討ち取るため、鉄砲まで用意された曰くつきの試合である。 寛永5年(1628年)、駿河城下の舟木道場では毎年5月5日に行われる「兜投げ」の儀が、人々が特別な興味を寄せる中で行われた。投げられた兜を空中にある内に剣で割るこの儀式を見事成功させた者が、道場主・舟木一伝斎の跡を継ぎ、その娘・千加の婿になるという噂があったためだ。千加に想いを寄せるがゆえに「兜投げ」に志願した頑之助だったが、千加は頑之助を婿にするのは何としても嫌だと拒み、一伝斎もそうはなるまいと慰めていた。それを屋敷の床下で聞いてしまった頑之助は、己の実力で千加を己のものにするべく、執念を燃やした。しかし、兜は通常よりも低い位置に投げられ、頑之助は剣を兜に当てるにとどまり、斬ることは叶わなかった。頑之助はその投げ方を不服とし、再挑戦を要求するが、腕前が十分であれば斬れたはずと一伝斎に退けられた。 その夜、頑之助は姿を消した。その年の秋、千加は兜投げを成し遂げた藩士・斎田宗之助の嫁となった。しかし、翌年正月、駿府城下で斎田宗之助は両足の脛を切断された惨殺死体となって発見される。悲しみに暮れる千加の姿を見て、その婿となるべく、その年の「兜投げ」には6人の者が志願した。兜にもっとも深く斬り込んだ浪士・倉川喜左衛門が賞された時、頑之助が姿を現し、今一度「兜投げ」をさせてくれと頼み込んだ。一伝斎が掛け声もかけず無造作に投げた兜を見事に叩き斬った頑之助は、「兜投げ」を成功させた自分を婿にするよう言い募り、異を唱える倉川を挑発し勝負を挑む。頑之助は蹲踞したまま剣を構え、倉川の剣を身を伏せて避けると両足を脛の辺りで両断した。これにより頑之助が斎田宗之助殺害の下手人と判明したが、頑之助は千加が自分を差し置いて婿を取ればその者の足を斬り息の根を止めると宣言して姿を消す。 その年の「兜投げ」で、兜を投げる役を務めた藩士・笹原権八郎は千加を見初め、千加も宗之助の一周忌後に再嫁することを約した。頑之助を恐れる千加のため、権八郎は頑之助を討つべく、槍術師範である従兄の笹原修三郎に教えを請う。身を低くして構える頑之助を討つには槍がもっとも有効と考えた権八郎だが、連れていた供の者達とともに、両足を斬られた惨殺死体となって発見された。頑之助を討つため山狩りをすることも話し合われたが、その恐るべき剣法が生まれた背景に、強い心と血の滲むような鍛錬があったことを見て取った笹原修三郎は、一介の武芸者として頑之助と立ち会うことを望んだ。修三郎の願いは聞き入れられ、城下のあちこちに御前試合にて頑之助と立ち会いたい旨を記された立て札が立てられた。 御前試合の当日、頑之助は試合場に現れた。誰からも蔑まれ、忌み嫌われた頑之助を、しかし修三郎は敬意をもって迎え入れた。千加が2人の夫と父の死後、屋敷にこもり精神を病んだらしいことを修三郎が告げた後、試合が始まった。名乗りをあげ、それぞれの得物を構える2人。修三郎の槍をかわし、その穂先を切り落とした頑之助は、身を低くし脛に斬り込む。鉄の脛当てを切り裂かれ、左脛に刃が食い込みながらも、修三郎は切られた槍の柄を渾身の力で頑之助の体に突き立てる。大量に喀血し痙攣する頑之助に、その腕前を賞賛しガマ剣法を語り伝えていくと約束する修三郎。頑之助はその言葉に微笑を見せ、「千加……」と一言遺し、絶命した。その姿はひっくり返ったガマガエルのようであった。 登場人物 屈木 頑之助(くつき がんのすけ) ガマガエルのごとき醜い容貌の男。行き倒れた浪士の遺児で、駿府城下で道場を開く舟木一伝斎に引き取られてそこで育った。その外見のため、誰からも愛されることなく過ごしたが、剣の天稟があることを見抜いた一伝斎には目をかけられていた。正式な稽古には加われなかったが、その剣技の凄みは誰もが認めていた。 優しい言葉をかけてくれた千加に懸想し、婿となるために「兜投げ」に志願したが、失敗。腕の未熟を理由に再挑戦の願いも退けられた後、富士山の風穴にこもり1年の修行を経て、魔剣ともいうべき「がま剣法」を編み出す。 笹原 修三郎(ささはら しゅうざぶろう) 駿河藩の槍術師範。中村流槍術の遣い手。長身で体格が良く、武芸者らしい重厚さと屈託なく笑う愛嬌を併せ持つ。魔剣ガマ剣法の陰に隠された、頑之助の心と積んできた修練を読み取り、兵法者として敬意を払う。 舟木 一伝斎(ふなき いちでんさい) 舟木道場の主。高齢になり、一人娘の千加に婿をとり跡継ぎにしようと考える。剣の才を認めた頑之助を幼少の頃より育てたが、千加が拒んだため、頑之助の「兜投げ」を成功させないよう計らった。寛永6年の「兜投げ」の儀式の日に頑之助が逃走した後、病に倒れ、その年の7月に病没。 千加(ちか) 舟木一伝斎の娘。その美貌に魅かれ、婿になりたがる者が多数おり、頑之助も千加に一方的に想いを寄せていた。 斎田 宗之助(さいだ そうのすけ) 駿河藩士。「兜投げ」を成功させ、千加の婿となるが、翌年城下で惨殺される。 倉川 喜左衛門(くらかわ きざえもん) 浪士。寛永5年の「兜投げ」に挑んだ時は失敗したが、翌年には参加者の中でもっとも深く斬り込むことに成功。しかし、直後に現れた頑之助と立ち会って両足を切断される。 笹原 権八郎(ささはら ごんぱちろう) 駿河藩士。一刀流の遣い手で、笹原修三郎の従弟。寛永6年の「兜投げ」の際には、年老いた一伝斎に代わって兜を投げる役目を務める。千加と結婚を約束し、頑之助を討つために供の者に槍を用意させ常に身支度をして備えていたが、あえなく敗れ去る。 原作との相違点 頑之助のガマ剣法は、足元から相手の両足を切断するだけで、鼻を削ぎ落としていない。 原作では試合を観戦していた千加を頑之助が殺害しているが、精神を病んだ千加は試合場には来ていない。 試合で、頑之助は修三郎の槍の穂先を切り落とし、修三郎は斜めに切られた槍の柄の先端を頑之助に突き刺して倒している。
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