舟木一伝斎(ふなき いちでんさい)
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「駿河城御前試合」の記事における「舟木一伝斎(ふなき いちでんさい)」の解説
駿府城下において、慶長以来の名人と言われた剣客。自らの道場を持ち、毎年5月5日に兜投げの武技を行っている。孤児であった頑乃助に剣術の天稟を見抜くなど剣客としての勘に優れている。寛永4年の兜投げにおいては頑乃助の参加を許可するも、頑乃助が成し遂げる事を恐れて斬り辛いように兜を投げた。寛永5年の兜投げでは検分役を務めていたが、突然の頑乃助の参加の際に自ら兜を文字通り地面に叩きつけるように投げた。だが、頑乃助はこの兜を見事に叩き割る事に成功してしまう。その後、千加の夫となった権八郎に道場を託し、死去。
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舟木 一伝斎(ふなき いちでんさい)
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「腕 -駿河城御前試合-」の記事における「舟木 一伝斎(ふなき いちでんさい)」の解説
舟木道場の主。高齢になり、一人娘の千加に婿をとり跡継ぎにしようと考える。剣の才を認めた頑之助を幼少の頃より育てたが、千加が拒んだため、頑之助の「兜投げ」を成功させないよう計らった。寛永6年の「兜投げ」の儀式の日に頑之助が逃走した後、病に倒れ、その年の7月に病没。
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