舟木本とは? わかりやすく解説

舟木本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:44 UTC 版)

洛中洛外図」の記事における「舟木本」の解説

慶長19年1614年)-元和元年1615年)頃の作。東京国立博物館所蔵1958年重要文化財指定2016年国宝指定滋賀県長浜市舟木家の所蔵だったことからこの呼び名がある。源豊宗1949年同家見出し岩佐又兵衛初期作直感し1957年に国の所蔵となった。 左隻に二条城徳川)、右隻に方広寺大仏殿豊臣)を対比的描いている。慶長年間京都描き従来からその特徴ある人物表現から岩佐又兵衛工房、又は又兵衛前派の作と言われてきたが、近年では又兵衛本人作が定説となった中心に大きく市街地を置き、歌舞伎小屋遊女屋などの都市風俗や、庶民の生活が生き生き描かれており、洛中洛外図中でも個性的である。浮世絵源流でもある。また初期洛中洛外図では必ず描かれていた郊外風景描かれていない1949年秋、美術史家源豊宗長浜医師舟木栄の家に立ち寄った際に客間立ててあり、源は「紛ら方な岩佐勝以特徴的な野生的躍動的な作風歴然としている」とし又兵衛初期作直感した舟木によれば彦根の某家の旧蔵であったものという。又兵衛研究権威であった辻惟雄は、「又兵衛前派」の作として50年に亘り又兵衛作を否定してきたが、辻自身変心により、又兵衛作が定説となり、2016年岩佐勝以筆」として国宝指定された。源によれば、「新しく夜明け迎えた庶民生活感溢れた自由闊達な姿が生き生き描写され、生を謳歌する巷の声騒然とひびいている。勝以画の人物独特の豊頰長頤で、反り身姿態、裾すぼまりの服装などならではの強靭な弾力帯びて画かれている。」 黒田日出男により、右双の豊国社描かれ豊国舞台で演じられている能楽慶長19年1614年8月19日翌年破却されるこの舞台で能楽演じられ最後の日に、最後に演じられた「烏帽子折」(長ハン)であることが判明した。右双の五条橋で踊る老後家尼は豊国社での花見から帰る高台院秀吉後家北政所)と特定された。また、二条城訴訟主宰し、女の訴え聞いている人物羽織紋様(九曜紋)から京都所司代板倉勝重特定された。二条城大手門潜ろうとしている公家は共に公家衆法度作成尽力した板倉勝重から慶長18年1613年7月3日振舞い招かれ武家伝奏広橋兼勝特定された。左双の中心軸上に描かれている印象的な武家行列の主は駕籠舁きの鞠挟紋から、勝重の次男にして家康近習出頭人板倉重昌特定された。このように注文主板倉家または板倉家繋がりが深い人物であることが予想されるが、黒田による資料博捜精密な読解により、注文主下京室町呉服商板倉勝重呉服所となっていた「笹屋(半四郎)」と特定された。

※この「舟木本」の解説は、「洛中洛外図」の解説の一部です。
「舟木本」を含む「洛中洛外図」の記事については、「洛中洛外図」の概要を参照ください。

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