舟木本
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慶長19年(1614年)-元和元年(1615年)頃の作。東京国立博物館所蔵。1958年重要文化財指定。2016年国宝指定。滋賀県長浜市の舟木家の所蔵だったことからこの呼び名がある。源豊宗が1949年に同家で見出し、岩佐又兵衛の初期作と直感し、1957年に国の所蔵となった。 左隻に二条城(徳川)、右隻に方広寺大仏殿(豊臣)を対比的に描いている。慶長年間の京都を描き、従来からその特徴ある人物表現から岩佐又兵衛の工房、又は又兵衛前派の作と言われてきたが、近年では又兵衛本人作が定説となった。中心に大きく市街地を置き、歌舞伎小屋や遊女屋などの都市風俗や、庶民の生活が生き生きと描かれており、洛中洛外図の中でも個性的である。浮世絵の源流でもある。また初期洛中洛外図では必ず描かれていた郊外の風景が描かれていない。 1949年秋、美術史家・源豊宗が長浜の医師舟木栄の家に立ち寄った際に客間に立ててあり、源は「紛らう方なき岩佐勝以の特徴的な野生的躍動的な作風が歴然としている」とし又兵衛の初期作と直感した。舟木によれば彦根の某家の旧蔵であったものという。又兵衛研究の権威であった辻惟雄は、「又兵衛前派」の作として50年に亘り又兵衛作を否定してきたが、辻自身の変心により、又兵衛作が定説となり、2016年「岩佐勝以筆」として国宝指定された。源によれば、「新しく夜明けを迎えた庶民の生活感に溢れた自由闊達な姿が生き生きと描写され、生を謳歌する巷の声が騒然とひびいている。勝以画の人物独特の豊頰長頤で、反り身の姿態、裾すぼまりの服装など彼ならではの強靭な弾力を帯びて画かれている。」 黒田日出男により、右双の豊国社に描かれた豊国常舞台で演じられている能楽は慶長19年(1614年)8月19日、翌年破却されるこの舞台で能楽が演じられた最後の日に、最後に演じられた「烏帽子折」(長ハン)であることが判明した。右双の五条橋で踊る老後家尼は豊国社での花見から帰る高台院(秀吉の後家、北政所)と特定された。また、二条城で訴訟を主宰し、女の訴えを聞いている人物は羽織の紋様(九曜紋)から京都所司代・板倉勝重と特定された。二条城の大手門を潜ろうとしている公家は共に公家衆法度の作成に尽力した板倉勝重から慶長18年(1613年)7月3日、振舞いに招かれた武家伝奏・広橋兼勝と特定された。左双の中心軸上に描かれている印象的な武家行列の主は駕籠舁きの鞠挟紋から、勝重の次男にして家康の近習出頭人・板倉重昌と特定された。このように注文主は板倉家または板倉家と繋がりが深い人物であることが予想されるが、黒田による資料の博捜と精密な読解により、注文主は下京室町の呉服商で板倉勝重の呉服所となっていた「笹屋(半四郎)」と特定された。
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