神話の時代から古代とは? わかりやすく解説

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神話の時代から古代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 09:43 UTC 版)

道後温泉」の記事における「神話の時代から古代」の解説

白鷺伝説 昔、足を痛めた白鷺岩の間から流れ出る湯に浸していたところ、傷は癒えて飛び立って行くのを見て村人が手を浸すと温かく温泉であり、効能確認したという伝説がある。これが道後温泉発見とされる道後温泉のみならず白鷺温泉の縁は深く各地温泉発見物語に白鷺登場する道後温泉ではさらに念の入ったことに、その白鷺舞い降りた跡が残ったものとのいわれのある石(石)があり、市内電車駅前放生園ほうじょうえん)という小公園一角据えられている。 白鷺道後温泉シンボル一つともなっており、道後温泉本館周囲の柵にも白鷺モチーフとした意匠みられるまた、谷という地名残っている。 伊予国風土記逸文 日本神話時代大国主命少彦名命出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、長旅疲れからか少彦名命急病苦しんだ大国主命は大分の速見の湯」を海底に管を通して道後へと導き小彦名命手のひらに載せて温泉浸し温めたところ、たちまち元気を取り戻し喜んだ少彦名命は石の上踊りだしたという。この模様模して湯釜正面には二人の神様が彫り込まれている。 また、その上で舞ったという石は、道後温泉本館北側に「玉の石」として奉られている。こちらにも、白鷺同様、命の「足跡」と伝えられる跡が残っている。なお、有馬温泉玉造温泉ほか全国各地類似の伝説がある。 596年厩戸皇子聖徳太子)来湯 病気療養のため道後温泉滞在したことが伊予国風土記逸文記されている。皇子伊佐爾波の岡に登り風景と湯を絶賛し記念に碑文を遺したとされる伊予湯岡碑)。しかし今日までその現物発見されておらず、道後温泉最大の謎とされている。14世紀河野氏湯築城造営の際に持ち去ったという説もある。椿の湯の南側緑地にその模様記した碑が建立されている。 これをはじめとして『日本書紀』伊佐爾波神社八幡宮)の社伝などによると、景行天皇仲哀天皇神功皇后舒明天皇斉明天皇皇極天皇)・中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人王子(後の天武天皇)など多く皇族方が行幸したとされる7世紀 645年大化の改新が行われると、現在の今治市辺り伊予国国府置かれ、京から見て国府よりも遠い地域は「道後」(←→道前道中)と呼ばれたことから、後世になるとこの温泉のある一帯が特にそう呼ばれるようになった『日本書紀』天武13年10月684年)の条項に「時伊予湯泉(いよのゆ)没而不出」と見え、これは白鳳地震による地変出湯停止したことを示すものであり、同様の現象宝永地震安政南海地震1946年南海地震でも見られ出湯一時停止南海地震特徴一つである。 中大兄皇子 白村江の戦い前に中大兄皇子(後の天智天皇)が日本百済連合軍集結させた。 7世紀頃 2005年11月松山市埋蔵文化財センターは、道後温泉本館の東隣の発掘調査現場から7世紀頃地層温泉成分である高濃度硫黄アルカリ泉存在するケイ藻成分含まれていたと発表した史書登場する温泉存在裏付ける史料ではないか注目されている

※この「神話の時代から古代」の解説は、「道後温泉」の解説の一部です。
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