類似の伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/26 09:30 UTC 版)
唐の段成式の『酉陽雑俎』では、 晋の泰始年間、北海の蓬球、字は伯堅という者が、貝丘の玉女山の山奥で不思議な宮殿にたどり着くと、中では四人の婦人が碁を打っていた。そこに鶴に乗った女が現れ、球のいることに怒ったので、門を出て振り返ると宮殿は消え失せていて、家に帰ると建平年間になっていた。 『幽明録』にある民話では、漢の明帝の永平5年(62年)に剡県で、劉晨と阮肇が天台山で女に出会い、村へ帰ると七代後の子孫が住んでいた。この変形で「仙女の洞窟」という民話では、劉晨と阮肇が山で迷い込んだ洞窟で仙女が碁を打っていた。村へ帰ると4、500年が過ぎており、洞窟に戻ると扉が閉じていて、二人は頭を壁に打ちつけて死んでしまった。天はこれを哀れんで、二人を幸運の神と悪運の神に任命した。 また南朝宋の劉敬叔『異苑』には、男が馬に乗って山中の洞窟を通りがかると、二人の老人が樗蒲をしていた。見物していて気がつくと、鞭は腐り馬は白骨化していたという話がある。 同じく南朝宋の頃、江西黎川近くの蒙秦山の伝説では、木こりが牛にまたがって山中に入り、仙人の碁を見ていると斧が腐り牛は骨と皮ばかりに干涸びていた。 東晋の干宝『捜神記』の「北斗南斗桑下囲棋」は、 占星家の管輅が南陽で趙顔という若者に若死にの相があると告げ、顔は言われた通りに、桑の木の下で碁を打っている二人の男に酒と肉をやると寿命を延ばしてくれた。
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