唐・宋の葉子戯
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「葉子戯」という語は唐の蘇鶚の同昌公主伝(『杜陽雑編』下、9世紀末)にはじめて見える。 韋氏諸宗、好為葉子戯。夜則公主以紅琉璃盤盛夜光珠、令僧祁立堂中、而光明如昼焉。 また、遼でも穆宗が、おそらく同一のゲームであろう「葉格戯」を遊んだという記録がある。欧陽脩『帰田録』(11世紀)によれば、唐代の葉子戯はすごろくに似た、サイコロを使ったボードゲームであった。古くは書物は巻物の形式で記していて不便であったので、唐代に至って「葉子」または「策子」(冊子)とよばれる形式に取ってかわられた。すごろくの点数もチェックしやすいように葉子に記していたため、葉子格と呼んだのである。北宋の程大昌(12世紀)も「葉子」を冊子のことと解釈している。 明の銭易編『南部新書』には、朱全忠がさいころを使って葉子戯を遊んだという故事が見える。欧陽脩は自分が少年のときに葉子はまだあったが、後に失われたと言っており、11世紀にはすでに葉子戯は基本的にすでに失われていたことがわかる。清の高士奇の記すところによると、南唐の李後主の妃の周氏に『金葉子格』という書があったという。このダイスゲームは後世に伝わっていないが、清初の文人である王士禎『南唐宮詞』に「花底自成金葉格」という詩句が見える。 葉子戯の起源は諸説紛々としている。葉子格が唐初の天文学家張遂(一行禅師)によって発明されたという伝説があり、それによると「葉子」という字を分解すると「廿世李」になり、唐王朝の世が20代にわたることを暗示しているという。別の伝説では、葉子格は唐中葉にはじめて出現し、発明者が葉子青という名前だったためにその名がついたという。類似の伝説ではこのゲームは唐末に葉子という婦人が発明したという。『太平広記』も「感定録」からとして同様の話を載せるが、葉子は『骰子選』と同じであるといい、これが正しいならば陞官図の原形のような出世すごろくの一種だったと考えられる。
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