唐・宋の葉子戯とは? わかりやすく解説

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唐・宋の葉子戯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 15:56 UTC 版)

馬弔」の記事における「唐・宋の葉子戯」の解説

葉子戯」という語は唐のの同昌公主伝(『杜陽雑編』下、9世紀末)にはじめて見える。 韋氏諸宗、好為葉子戯。夜則公主以紅琉璃盤盛夜光珠、令僧祁立堂中、而光明如昼焉。 また、遼でも穆宗が、おそらく同一ゲームであろう格戯」を遊んだという記録がある。欧陽脩帰田録』(11世紀によれば唐代葉子戯はすごろく似たサイコロ使ったボードゲームであった古く書物巻物形式記していて不便であったので、唐代至って葉子」または「策子」(冊子)とよばれる形式に取ってかわられた。すごろく点数チェックしすいよう葉子記していたため、葉子格と呼んだのである北宋の程大昌12世紀)も「葉子」を冊子のことと解釈している。 明の銭易編『南部新書』には、朱全忠さいころ使って葉子戯を遊んだという故事見える。欧陽脩自分少年のときに葉子はまだあったが、後に失われたと言っており、11世紀にはすでに葉子戯は基本的にすでに失われていたことがわかる。清の高士奇の記すところによると、南唐李後主の妃の周氏に『金葉子格』という書があったという。このダイスゲーム後世伝わっていないが、清初文人である王士禎南唐宮詞』に「花底自成金格」という詩句見える。 葉子戯の起源諸説紛々としている。葉子格が唐初の天文学家張遂(一行禅師)によって発明されたという伝説があり、それによると「葉子」という字を分解すると「廿世」になり、唐王朝の世が20代にわたることを暗示しているという。別の伝説では、葉子格は唐中葉にはじめて出現し発明者葉子青という名前だったためにその名がついたという。類似の伝説ではこのゲームは唐末に葉子という婦人発明したという。『太平広記』も「感定録」からとして同様の話を載せるが、葉子は『骰子選』と同じであるといい、これが正しいならば陞官図原形のような出世すごろく一種だったと考えられる

※この「唐・宋の葉子戯」の解説は、「馬弔」の解説の一部です。
「唐・宋の葉子戯」を含む「馬弔」の記事については、「馬弔」の概要を参照ください。

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