神話の王と英雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 19:14 UTC 版)
「アフラースィヤーブ」の記事における「神話の王と英雄」の解説
ペルシア語詩人フェルドウスィーにより制作されたシャー・ナーメ (王の書)には、アフラースィヤーブはトゥーラーンの英雄王であり、イランの大敵であったと記されている。イラン神話においては、アフラースィヤーブはトゥーラーンの王の中でも群を抜いて有名な王と考えられている。彼は恐るべき戦士かつ戦略巧みな将軍であり、イラン文明を破壊するため魔法のような力を用いるアンラ・マンユ (悪神)の使いであると記されている。 パフラヴィー語の資料においては、アフラースィヤーブはイラン神話の王フェレイドゥーンの息子トゥール(英語版) (アヴェスター語: トゥーリヤー, Tūriya-、他にサルム(英語版)やイーラジュ(ペルシア語版、英語版)という二人の息子がいた) の子孫であるとされている。ブンダヒシュンにおいては、アフラースィヤーブはトゥールの7番目の孫として登場する。アヴェスターによれば、彼の渾名は「mairya-」 (狡猾、極悪) であり、「悪人」と解釈しうる。彼はHanakanaと呼ばれる金属製の地下要塞に住んでいたとされる。 アヴェスターにおいては、アフラースィヤーブはハオマによりチーチャスト (Čīčhast、スィースターンのハームーン湖もしくは今日の中央アジアのどこかの湖と考えられている)の付近で殺害されたとされ、シャー・ナーメによれば彼はアゼルバイジャンの山上にあるハンゲ・アフラースィヤーブ (Hang-e Afrasiab) として知られる洞窟で死亡したとされている。逃亡中のアフラースィヤーブは彼の敵であったイラン神話の王ケイホスロー(英語版) (彼の娘ファリーギース(英語版)の息子) に惨敗を喫し、洞窟に逃げ込んで死亡したとされる。
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