短い活躍期間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 18:48 UTC 版)
最新型のジェット旅客機であり、また国内線では最初のジェット旅客機であることから高い人気を誇り、瞬く間に競合他社から乗客をもぎ取ったが、前述の通りエンジンや電装系を中心にトラブルが多く、操縦性にも癖があって「じゃじゃ馬」と言われるほど扱いにくく、経済性に劣り騒音も過大なため、現場から嫌われた。 また高度経済成長下で急激に伸びつつあった需要に対応するにはキャパシティが小さく、さらに訓練飛行中の墜落事故で3機を喪失、1機を小破したことも加わって、DC-8の国内線への導入やボーイング727の受領開始に伴い運用縮小し、2機が1970年にキャセイに売却された他は、1970年10月31日の国内線運用をもって全機退役した。 残余4機は、ちょうど本機と入れ違いに導入されたボーイング747の13-16号機の発注条件で「下取り」という形で1機につき75万ドルでボーイング社が引き取り1971年4月までに全機が離日し、航空機リース会社のIALに転売された後、その全てがキャセイパシフィック航空で運航された。 「ボーイング747#B747-100」も参照 日本航空のCV880には植物の愛称が付けられていたが、日本国内航空からのリース機であった「銀座」号は変更前に喪失したため、そのままであった。なお、後に導入したボーイング737-400にも花の愛称が与えられたが(JALエクスプレス移管時に消滅)、いわゆるゲン担ぎからCV880で使われた愛称は除外されている。 「ボーイング737 クラシック#日本での導入」も参照 運航機機体記号型式製造番号愛称受領年月日備考1号機 JA8021 CV-880-22M 22-7-5-57 SAKURA 1961年1月21日 JALラストフライト機。1971年4月28日売却抹消→N5865→N1RN→N58651976年12月16日にマイアミで大破後、1981年まで消防訓練教材 2号機 JA8022 CV-880-22M 22-7-6-58 MATSU 1961年9月1日 1970年1月7日売却抹消→VR-HGF(CX) 3号機 JA8023 CV-880-22M 22-7-7-59 KAEDE 1961年9月8日 1965年2月27日 壱岐空港で訓練中墜落、抹消詳細は「日本航空の航空事故およびインシデント#日本航空壱岐空港墜落事故」を参照 4号機 JA8024 CV-880-22M 22-7-8-60 KIKU 1962年6月7日 1970年6月26日売却抹消→VR-HGG(CX) 5号機 JA8025 CV-880-22M 22-7-9-61 AYAME 1962年6月7日 1971年4月7日売却抹消→N5866→N4339D 6号機 JA8026 CV-880-22M 22-00-46M YANAGI 1963年7月3日 1971年3月29日売却抹消→N5858→N54CP 7号機 JA8027 CV-880-22M 22-00-48M SUMIRE 1963年3月1日 1969年4月4日 大阪空港でオーバーラン事故を起こし小破1971年4月12日売却抹消→N5863→FAAで火災実験に供用 8号機 JA8028 CV-880-22M 22-00-49M KIKYO 1963年3月22日 1969年6月28日 アメリカ・ワシントン州モーゼスレイクで訓練中墜落全損詳細は「日本航空モーゼスレイク墜落事故#事故の経緯」を参照 リース機 JA8030 CV-880-22M 22-00-45M 銀座 1966年7月1日 日本国内航空からリース 元スイス航空HB-ICM(1961年製)1966年(昭和41年)8月26日、羽田空港で訓練中墜落全損詳細は「日本航空羽田空港墜落事故#事故の経過」を参照
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