短い現役期間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 02:57 UTC 版)
準同型機であるC-97はMATSなどへ派生型を含めた量産が進められ888機生産されたが、民間型の377型は56機にとどまった。納期は遅く、機体価格は高価格設定で、他社メーカーの同等機種にたいして群を抜く高性能を反映した値段だったが、377型の機体は当時の民間用旅客機では最大級サイズで運行コストも高く付いた。過大な長距離用旅客機仕様からオペレーターは限られ、空港のインフラ整備は発展途上で就航できる区間も限定されていた。 さらに今後の民間航空の主流となると目されていた、世界初のジェット旅客機であるデ・ハビランド DH.106 コメットが1952年に就航し、英国海外航空やパンアメリカン航空、日本航空などの世界各国のフラッグキャリアが発注した。さらに同機が設計時の問題による連続事故を起こし各社が発注を取り消したものの、それと同時期に、より大きくて高速のボーイング707やダグラスDC-8の発注が本格化したことも、377の発注を止まらせる結果となった。 1958年に、トランスオーシャン航空がチャーター便と低価格運賃の北太平洋横断路線の強化を目論み、中古で8機を購入し、定期便としてアメリカ軍の占領下の沖縄の那覇などへ乗り入れていたが、同社は1960年1月に破綻している。 1959年には英国海外航空から、1960年にはノースウェスト航空から、1961年にはパンアメリカン航空から退役するなど、1960年代初頭には他の主要航空会社からも旅客定期便から退役した。これらの大手航空会社の長距離定期便から外されても、中短距離国際線などへの配転はほとんど行われず、転売も南アメリカで数機が引き取られ旅客チャーター便、不定期便に使用されたのみであった。それ以外の機体はボーイング707の下取りに引き取られ、モハーヴェ砂漠などに留め置かれ後述の派生型貨物機へ改造されるか解体されたため、旅客機当時の状態で現存する機体は皆無である。
※この「短い現役期間」の解説は、「ボーイング377」の解説の一部です。
「短い現役期間」を含む「ボーイング377」の記事については、「ボーイング377」の概要を参照ください。
- 短い現役期間のページへのリンク