短い本線時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/31 13:51 UTC 版)
登場当初の51形は、「新車」と呼ばれて1形とともに本線の輸送力増強用に充当された。しかし、第一次世界大戦の勃発によって日本の工業生産力は増加し、阪神本線沿線にも多くの工場が進出するとともに宅地の開発も盛んになったことから乗客数も急上昇したが、肝心の車両を増備したくても台車や電装品などが大戦の影響で輸入が困難となり、国産品も実用以前であったことから車両の増備ができずに1形と51形の66両で千鳥式運転を実施するなどしてしのいでいた。 大戦後の1920年にようやく総括制御で連結運転可能な301形を新造、翌1921年までの間に311,321,331の各形式合わせて70両が増備されると、直接制御で単行運転しかできない1・51形は総括制御に改造された1形41 - 50を除く1形全車が譲渡または廃車され、51形は北大阪線で専属的に使用された。また、この時期までに二重屋根の前後端を301形同様丸屋根に改造した車両が現れ、その後も同様の改造が実施された。
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