相続制の衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
仏人常に自由権利平等を口誦すれども、其然る所以の哲理に至りては…先天的の断定を下して…之を究明することを思はず…全国数百万の戸主苟(いやしく)も富有ならば宜しく財産の一部を分ちて諸弟と共に其楽を享くべきなり、然れども庶民貧困を極むるの今日に方(あた)り一物の分与すべきなきもの多きを如何せん。 — 木内重四郎「長子権ヲ読ム」1888年(明治21年) 相続制については、封建制を捨て郡県制に移行した以上、仏法流の分割相続制を徹底して経済発展を図るべきとするブスケと、富国強兵により諸外国に対抗するには資本の集積を行わねばならず、日本の国力では採りえないとする江藤の主張が対立していた(ただし江藤は家父長制に批判的)。 もっとも、単独相続制といっても、全ての場合に跡嗣ぎ以外の取り分が無いわけではなく、実質は特権的相続制と称すべきものである。 旧民法財産取得編286条 相続に二種あり家督相続及び遺産相続是なり 取287条 家督相続とは戸主の死亡又は隠居に因る相続を謂う 取288条 1.家督相続を為すは一家一人に限る 取312条 遺産相続とは家族の死亡に因る相続を謂う ボアソナードによれば、ユダヤ・キリスト・イスラム教圏の長子権は古くは旧約聖書に由来し、キリスト教以前の古代ギリシャ・ローマでは男子は平等分割、一方北部フランスに侵入したゲルマン人(フランク人)には長男子権が有ったと推測されるが、封建制の庶民は柔軟な相続形態を採っていた。 「 その子たちに自分の財産を継がせる時、気にいらない女の産んだ長子をさしおいて、愛する女の産んだ子を長子とすることはできない。必ずその気にいらない者の産んだ子が長子であることを認め、自分の財産を分ける時には、これに二倍の分け前を与えなければならない。これは自分の力の初めであって、長子の特権を持っているからである。 」 —申命記 21章16-17節 日本には既に封建制維持の必要性も確たる宗教的理由も無いのだから、長子相続制維持の理由は無いことになる(ボアソナード)。 ところが、1860年代のフランスでも、遺言者本人の意思を重視する遺言自由主義の立場が台頭、平等の観点から均分相続制を維持徹底すべきという立場との論争が起こっていた。 百姓の家では、先祖伝来の…田圃、牛、馬、畑などを三つに分けたらどうなるか。分けた兄弟は皆共倒れでしょう。…このことは、フランスが最も苦い経験を嘗めたところである。…子供の出来るたびに農地を平等に分けて…猫の額のような小さい、葡萄を作ることすらできない家産になった。同じような苦い経験は支那でも示されている。…民法で農家の財産は分けるな、サラリーマンの財産は分けろと定めようかとしても…この二つの両極端の間に幾多の段階がある。…中小商工業の家族もある。 — 我妻栄、1941年(昭和16年) 特に商工業にも集約農業にも適さない南仏山岳地域では弊害が深刻であった。 仏民法は1906年以降、現物による平等分割を避ける方向に転換。家督相続制を廃止した戦後の日本でも農地につき特別法で対処しているが、遺留分に対する零細農の過大な負担という農政上の難問は残っている。実態としては農地継承者以外の相続放棄が多く、平等の理想は貫徹されていない。
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