生い立ち、学生・アマチュア時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:08 UTC 版)
「桑田佳祐」の記事における「生い立ち、学生・アマチュア時代」の解説
1956年2月26日に神奈川県茅ヶ崎市にて生誕した。 1962年に茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校に入学した。小学生時代から将来の夢として漠然と歌手になることを考えていたが、先生によっては通用しないと思い、建築家や弁護士になりたいと答えていたこともあったという。5・6年生の頃に入浴中に父の勧めで当時流行していた歌謡曲を歌い、「上手いね」と褒められた経験があり、それを後の音楽活動における原点として挙げている。 1968年に茅ヶ崎市立第一中学校に入学した。当時は野球部に所属しており、エースだった。同じ野球部にいたことがきっかけで宮治淳一との交流ができている。このころから教壇でコンサート会場さながらに歌い皆を楽しませており、また黒板消しをマイクに見立てて前川清のものまねをするなど、エンターテイナーの片鱗を見せている。登校前には学校のすぐ隣にあったパシフィックホテル茅ヶ崎で早朝にボウリングを行っていた。 1971年に鎌倉学園高等学校に入学した。当時は友人と2人で「ボウリング部」を名乗りトレーニングや練習をやっていた。また、これまで交流がなかった小中学校の同級生とも音楽を通して交流が生まれ、互いの家に出入りして楽器を鳴らしながらビートルズなどを2人で歌ったことが、桑田にとってギターやピアノを覚えるきっかけになった。3年生になった1973年に宮治からのオファーにより神奈川県立鎌倉高等学校の文化祭(鎌倉高校祭)のロック・コンサートに出演、ビートルズの「マネー」とエルヴィス・プレスリーの「ブルー・スエード・シューズ」を披露した。なお、これが桑田が人前で演奏した初めてのステージであった。本人によると3年生の時のみ勉強に集中しており、英語と日本史と国語を勉強していた。特に英語と日本史は自己採点の結果パーフェクトだったという。 1974年に5校の入試を受験した結果、最初に合格の通知の電話が来た青山学院大学に入学した。大学の音楽サークル“BETTER DAYS”(ベター・デイズ)に所属し、本格的にバンド活動を開始。「温泉あんまももひきバンド」「脳卒中」「ピストン桑田とシリンダーズ」「青学ドミノス」など、頻繁にバンド名の変更やメンバーチェンジを繰り返していたが、1976年ごろから宮治の命名により自身のバンドに“サザンオールスターズ”の名を使用した。 1977年にサザンとして『EastWest '77』に出場し、桑田はベストヴォーカル賞を受賞、デビューのきっかけをつかむ。この頃の桑田は音楽のプロになる気はなかったといわれるが、一方で軽い気持ちで「作詞家になる」と父に告げていたとも語っている。父は自身の経験から学生時代の桑田に喫茶店の学校に行ってバーテンダーの勉強をすることや自衛隊に入隊することを勧めていたという。これについて桑田は「今思うと、親父は僕のことをよく考えてくれていたんだなと思いますね」とインタビューでこのことを振り返った際に述べている。
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