現代における例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:45 UTC 版)
現代のエンターテイメント界(映画スターおよびミュージシャン)でゲイ・アイコンに挙げられる人物は、いずれも逞しさや独特な個性の強さを持ち、また早世したり悲劇的な最期を遂げた人物が多いことも特徴である。例えば、1950年代に名声を極めたギリシア系アメリカ人でオペラ歌手のマリア・カラスは、ステージでの魅力的な様や悲劇的な恋愛など波乱に満ちた私生活、舞台を去った後のパリで早世した事などの多くの出来事が彼女をゲイ・アイコンにする要素となった。彼らゲイ・アイコンは同性愛・異性愛を問わず、また同性愛を公言しているか否か、性別も様々である。ショーなどでドラァグクイーンが特定の人物になりきって演じる際などは、ゲイ・アイコンの女性がよく取り上げられる。レズビアン・アイコンと呼ばれる人物は、殆どの場合がレズビアンまたはバイセクシャルで、かつ本人が公言しているか噂のある、パワフルな女性である。しかしながら、一部の男性著名人もレズビアン・アイコンに含まれることもある。ジェームズ・ディーンはその一例で、マーロン・ブランドも男性的レズビアンのイメージに似た風貌(en)や、1950年代以降の彼自身のイメージからレズビアン・アイコンとされている。 マイナーなレズビアン・アイコンのジョニー・キャッシュは、彼の「男らしさに対する不安感や苦しみがレズビアンの要素である」という旨の主張が批判の的となった人物である。サイエンスフィクションの著者フォレスト・J・アッカーマンはレズビアン人権団体Daughters of Bilitisの初期の活動を支えたことから、"honorary lesbian"(名誉レズビアン)の異名で知られる。彼は"Laurajean Ermayne"のペンネームでレズビアンのフィクション小説を書いていたことがある。 一方で、イギリスの新聞ガーディアンのPaul Flynnが「ゲイ・アイコンの概念はもはや"激安"といった見出し的なもので、その概念は"人気"や、逞しさや特徴的なスタイルを作り出せる"能力"などで言い換えられるものになっている」と指摘するなど、ゲイ・アイコンの実態が本来の「ゲイに大きな支持を受けている人物」の特徴を失ったものになりつつあるという声もある。アメリカのゲイ作家Michael Thomas Fordも彼の作品"Last Summer"で同様の主張をしている。 ゲイ・アイコンという用語はアメリカ国内では普通に使われる言葉であるが、同様の概念は他文化圏でも見られる。イタリア系エジプト人のダリダは、生涯を通じて、パリから中東の広いエリアでゲイのファンに支持を得ていた。彼女は死後数年経ってもアイコン性が失われることはなかった。同様にボリウッドの俳優アビシェーク・バッチャンはインド国内の調査でゲイ・アイコンとして最近認定された。同性愛を恥とする風習の残るインドにあって、「どんな人からの好意や愛も歓迎です」と述べたと伝えられている。彼自身は異性愛者だが、ゲイ男性の厚いファン層があることを喜んでいる。オランダの歌手Willeke Albertiは、歌のレパートリーやキャリアの長さ、ゲイ擁護のパフォーマンスなどでゲイ・アイコンと広く認められている。スペインの女優カルメン・マウラ、イタリアの歌手ミーナ・マッツィーニ、スコットランドのポップシンガージミー・ソマーヴィル、ドイツのシンガー・ソングライターMarianne Rosenberg、イギリスの歌手ダスティ・スプリングフィールドもゲイ・アイコンと見なされている。ラテンアメリカにも多くの人物がゲイ・アイコンとされている。タリアはその例の一つで、彼女のシングル曲で1980年代にスペインのバンドAlaska y Dinaramaのヒット曲のカバー"¿A_quién_le_importa?"(誰が心配するの?)は、スペイン語圏のLGBTコミュニティでゲイ・アンセムになっている。また、メキシコのポップシンガーグロリア・トレビもその一人である。グロリアは、差別を受けた男性がドラァグクイーンに成長する内容の曲"Todos Me Miran"(皆が私を見ている)のリリース後に人気が高まったが、彼女はそれまでメキシコのゲイ・レズビアンコミュニティにのみ知られる存在であった。パウリナ・ルビオもラテンアメリカでゲイ・アイコンとされていて、同性婚の活動支援や、「マドンナとセックスしたい」と公に発言したことで話題と支持を得た。
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