特措法改正
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1995年に駐留軍用地特措法上の手続き上において大田昌秀沖縄県知事が代理署名を拒否したことで(これにより沖縄代理署名訴訟が起こり、県が敗訴した)、1996年に使用期限が切れて不法占拠となった楚辺通信所の土地が現れた。地主の知花昌一らは即時返還を要求した。そこで、政府は引き続き使用を続けるための改正案を出した。米軍基地の地主が、契約期間満了後の更新を拒否した場合でも、収用委員会の審理中は補償を行うことで「暫定使用」を引き続き可能とするもので、さらに委員会が使用を却下しても、防衛施設局長が審査請求を行う間は引き続き使用を可能にした。しかも、附則で使用期限が切れた土地についても、さかのぼって改正案を適用し、土地の明け渡しをせずに済むようにした。また、新たに土地を使用するための規定を設け、収用委員会が却下裁決を出した場合、首相の権限で使用できるようにした(第二十四条)。こうして反戦地主と収用委員会を無力化し、土地を「永久に借りておく」ことができるようにするものだった。 この改正案に、沖縄県では激しい反対運動が起こったが、本土での関心は薄かった。さらに、国会では「九九%のシェアを持つ二つの新聞(琉球新報と沖縄タイムス)によって、それも反戦地主になっている幹部のもとにある新聞社が発行する新聞によって沖縄の心がマインドコントロールされておる」(1997/4/9衆議院日米安全保障条約の実施に伴う土地使用等に関する特別委員会公聴会、新進・西村眞悟。反対の参考人として招かれた新崎盛暉に)「私権は、安全保障上の重大な国家の利害のために制限を受ける」(1997/5/16衆議院法務委員会、西村)、「(日米安保の堅持を強調し、安保反対派を「極めて少数の」「はっきり国益に反する」存在であるとした上で)沖縄はもちろん日本の一部でございまして、日本という大きな船の中の一つでございます。沖縄というところは例えばエンジンルームに近くてうるさくて暑い、だから不公平だということでございまして、その負担をある程度みんなで分けようということをやっているわけでございますけれども、完全に分けられるはずのものでもございません」(1997/4/16参議院公聴会、賛成の参考人岡崎久彦)といった論調が目立った。 改正案は、自民と新進が合意し、民主も賛成の意向を見せたため、圧倒的多数で可決される見込みとなった。衆議院委員会通過後の4月11日、自民の野中広務委員長は本会議での委員会報告の最後に、「この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります」と付け加えた。自民と新進の「保保連合」を牽制したとも、性急な審議への戒めとも云われているが、新進党はこの発言の会議録からの削除を要求し、同党の要求通り会議録から消された。4月11日の衆議院通過後、4月17日、自民、新進、民主、さきがけ、太陽の賛成、共産、社民、新社、沖縄社大、二院などの反対で可決成立した。衆参ともに、9割前後が賛成の圧倒的多数での可決だった。社民はこの当時、閣外協力で与党だったが、本法案には反対した。 2013年11月27日に最高裁判所は駐留軍用地特措法改正は合憲という判決を出した。
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