浮島の森の保護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 09:28 UTC 版)
貴重な自然をもつ浮島の森だが、戦後の都市化に伴う乾燥と地下水位の低下、汚水の流入による水質悪化、泥炭層の肥厚により、大きな影響を受けている。昭和20年代(1945年 - 1955年)までは、島で強く足ぶみをすると、島全体が揺れ動く様子を見ることが出来たが、今日では、西側の部分が水位の変化に応じてわずかに上昇・沈降するのみで、島全体が浮遊・移動することはなくなった。これは島が沼地の底に座礁したためで、特に堆積物の流入口となっていた北側で最も広範囲の座礁がみられ、周囲の埋め立てが進んだ東側・南側でも座礁が認められる。もっとも環境が悪化した時期には、島は流入した堆積物によって取り囲まれて陸側に捕獲された状態であったが、それらの堆積物は水質の悪化した沼沢水が森の内部へ直接流入することを妨げてもいた。しかしながら、水質の悪化による悪影響は植物群落の衰弱として現れるようになり、ヤマドリゼンマイの株数減少、スギの枯死、ミズゴケの減少をはじめとする寒地・高原性の植物の減少、新芽の発芽の困難だけでなく、ハゼの木や外来種の増加など、悪影響が著しい。 浮島の森の保存対策は、早い時期のものでは、1953年から1954年にかけて国庫補助を受けて浚渫等の工事が実施されており、その後、1976年には国庫補助による排水路工事により、土砂流入が防がれるようになった。しかし、都市化の進展に伴う地下水位の低下と湧水の枯渇はなおも著しく、水源を道路側溝からの雨水と家庭雑排水の混入した下水に頼らざるを得なくなったため、悪臭が漂うほどになり、著しい環境の悪化が見られた。 そこで、1988年から1991年にかけて、四手井綱英・京都大学名誉教授を委員長とし、地元の専門家らを交えた新宮藺沢浮島植物群落調査委員会により保存対策のための基本的調査研究が実施され、その成果が刊行された。これに次ぐ、1992年から1993年にかけては、周辺の下水路を改修整備して下水流入を完全に阻止するとともに、井戸を掘削してその水を導入することによる水質の改善が図られた。これにより、オオミズゴケの繁殖面積が拡大するといった状況の好転が確認された。 1993年には、新宮藺沢浮島植物群落調査委員会による『新宮藺沢浮島植物群落基盤調査報告』が刊行され、長年にわたって流入した堆積物を処理し、浮島植物群落を再生させるための基礎調査がまとめられた。この調査ではハンドボーリングや水中ビデオ撮影といった手法により、浮島の下部構造について多くの成果が得られ、浮島が座礁しつつもかろうじて浮遊状態を保っていることが確認された。 この後、平成6年(1994年)度から平成8年(1996年)度にかけて沼沢池の浚渫が行われたほか、浮島の沼沢地に流入する市田川・浮島川に熊野川からの取水を導入することによる水質改善事業が国と和歌山県により行われた。この事業は、熊野川河口より3.4 km の付近から毎秒1 tの水を取水し、そのうち毎秒0.7 tを浮島川(浮島の森に毎秒0.03 tを含む)に分水導入するもので、2000年(平成12年)3月からは工事途上であるため不定期であるとは言え導水が開始された。工事完了までは不定期な導水しかできない状況であったものの、導水開始前までは環境基準値を大きく上回る40 mg/LものBOD値を示すこともあった浮島の森の水質は大幅な改善を示し、オオミズゴケの繁殖範囲の更なる拡大、ヤマドリゼンマイやスギ幼苗の発芽、マツバランの再生等が見られ、危機的であったいくつかの植物の状況が改善された。
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