死後――友人らの哀悼
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蓮田の死が故郷の家族に報告されたのは翌1946年(昭和21年)6月で、友人らの間に伝わったのは夏だった。蓮田の行動に衝撃を受けた伊東静雄は、飛び去る白いはぐれ雲が「さよなら……さやうなら」と会釈を続けながら「やがて優しくわが視野から遠ざかる」と詠じた詩『夏の終り』を綴った。 しかし富士正晴が復員し戦闘帽と軍服のままで伊東のいる住吉中学校に行くと、伊東は不愉快そうにし、蓮田のことが話に出ると、「ひとりで死にゃいいのに」と言ったとされる。林富士馬も、蓮田の行動に「腹立たしい」ものを感じ、それを佐藤春夫に伝えていた。 佐藤春夫はそれに対して、「腹立たしいといふ気持も表現も了解されないではありませんが、蓮田君としてはそれより外に方法はなかつた必然の行き方と小生は深い哀悼の感を持ちます。(中略)蓮田君も内地にゐて、もう四五日も生きてゐたらまた何とか考へ方もあつたのではないかとも思ひますが、十五日から二十日までの彼の心事を思ふと悲痛に堪へぬものを感じます」として、雑誌『人間』8月号に哀悼の詩「哭蓮田善明」を寄せた。 この詩は、編集部から印刷所に回され校正刷りまでしたが、GHQの検閲を恐れて上梓されなかった。しかし、佐藤の詩の未発表を惜しんだ編集員の1人が校正刷りを三島由紀夫に送り、三島がこれを清水文雄に送って預けていたので、廃棄されずに今日無事に残ることができた。 すめぐにの ふみのはやしに わけいりて おくがをきはめ かぐはしき 心の花も ひらきしを おほきみの まけのまにまに つるぎはき すめろぎの とほのみかどに さむらひて たたかひの かたぬうらみに 八月二十日 じよほうるに 己がこめかみ ぴすとるの たまにつらぬき たまきはる いのちすぎぬる みたまいま きみがつかへし すめぐにの いづくにかます 反歌 まさきくもあれ といのりし ますらをの友は あらずも なりにけるかな — 佐藤春夫「哭蓮田善明」 1946年(昭和21年)11月17日、午後2時から成城学園の素心寮で「蓮田善明を偲ぶ会」が行なわれた。出席者は、桜井忠温、中河與一、清水文雄、阿部六郎、今田哲夫、栗山理一、池田勉、三島由紀夫 。伊東静雄は誘いを受けていたが、「ひとりの友を失つて、他の多くの友をも遠ざかつてゐたい気持」だとし、戦後は「余生」と考え、「観る」生活を続けることを清水文雄に伝え、偲ぶ会を欠席した。 出席者だけで蓮田の思い出を小冊子にまとめ、蓮田を深く知る版画家・棟方志功の「悲しき飛天」装幀で『おもかげ』という小冊子を発刊した。三島由紀夫は毛筆でしたためた以下の詩を亡き蓮田に献じた。 古代の雪を愛でし君は その身に古代を現じて 雲隠れ玉ひしに われ近代に遺されて空しく 靉靆の雪を慕ひ その身は漠々たる 塵土に埋れんとす — 三島由紀夫「故蓮田善明への献詩」 偲ぶ会の翌日、清水文雄に宛てた絵葉書に三島は、「黄菊のかをる集りで、蓮田さんの霊も共に席をならべていらつしやるやうに感じられ、昔文藝文化同人の集ひを神集ひにたとへた頃のことを懐かしく思ひ返しました。かういふ集りを幾度かかさねながら、文藝文化再興の機を待ちたいと存じますが如何?」と書き送っている。同年11月20日には、郷里・植木町で葬儀が行われた。 1960年(昭和35年)10月19日、蓮田の旧制済々黌中学の級友でのちに熊本商科大学学長となる丸山学らの尽力で故郷・植木町にある田原坂公園に歌碑が建立され、除幕式が行われた。歌碑には、〈ふるさとの 驛におりたち 眺めたる かの薄紅葉 忘らえなくに〉という蓮田の「をらびうた」の一首が刻まれている。碑には、恩師・斎藤清衛による蓮田の略歴も彫られ、書の最期は以下のように締めくくられている。 君は性来篤実にして真摯特に近親知友に対する愛情濃まやかで寸刻を惜しんで学究に精励した。その性の清潔と学風の高邁さはまさに秀達の一語に尽きよう 今はその短命を惜しむと共に永く祖国の上に君の冥護あらんことを祈り旧友相はかってこの碑を建てる — 斎藤清衛 昭和三十五年八月 1969年(昭和44年)10月25日、中央本線沿線・荻窪の料亭・桃山で25回忌が行われて、普茶料理が出された。その席上、44歳の三島は、「私の唯一の心のよりどころは蓮田さんであって、いまは何ら迷うところもためらうこともない」、「私も蓮田さんのあのころの年齢に達した」と挨拶の辞を述べていたという。またその時、三島により「伊東静雄全集と同じような一巻全集の蓮田善明全集を作ろう」という発案がなされた。
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