死後と評価
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高兌は江戸時代後期の名君の一人である。当時、44歳は若いとは言えないが、高兌がもし長命だったなら、藩の行く末は大いに変わっていたと考えられる。 高兌の死後に跡を継いだ長男の高猷は、あまり優れた人物とは言えず、津藩の財政は再び悪化していった。 表 話 編 歴 藤堂氏久居家12代/宗家18代当主(1790年 - 1806年/1806年 - 1824年) 宗家景盛 - 景冨 - 景持 - 景兼 - 景高 - 高信 - 忠高 - 虎高 - 高虎 - 高次 - 高久 - 高睦 - 高敏 - 高治 - 高朗 - 高悠 - 高嶷 - 高兌 - 高猷 - 高潔 - 高紹 - 高廷 - 高正 - 分家・支流 久居家高通 - 高堅 - 高陳 - 高治 - 高豊 - 高雅 - 高敦 - 高朶 - 高興 - 高衡 - 高矗 - 高兌 - 高邁 - 高秭 - 高聴 - 高邦 - 高義 - 高寛 - 正彦 - 高彦 - 名張家高吉 - 長正 - 長守 - 長源 - 長熙 - 長美 - 長旧 - 長教 - 長徳 - 高美 - 高節 - 高成 - 高伸 - 表 話 編 歴 藤堂氏久居藩12代藩主 (1790年 - 1806年) 藤堂高通1669-1697 藤堂高堅1697-1715 藤堂高陳1715-1723 藤堂高治1723-1728 藤堂高豊1728-1735 藤堂高雅1735-1762 藤堂高敦1762-1770 藤堂高朶1770-1775 藤堂高興1775-1777 藤堂高衡1777-1781 藤堂高矗1781-1790 藤堂高兌1790-1806 藤堂高邁1806-1818 藤堂高秭1818-1832 藤堂高聴1832-1863 藤堂高邦1863-1871 廃藩置県 表 話 編 歴 藤堂氏津藩10代藩主 (1806年 - 1824年) 富田家富田一白1594-1599 富田信高1599-1608 伊予宇和島藩に転封 藤堂家藤堂高虎1608-1630 藤堂高次1630-1669 藤堂高久1669-1703 藤堂高睦1703-1708 藤堂高敏1708-1728 藤堂高治1728-1735 藤堂高朗1735-1769 藤堂高悠1769-1770 藤堂高嶷1770-1806 藤堂高兌1806-1824 藤堂高猷1825-1871 藤堂高潔1871 廃藩置県 典拠管理 NDL: 00414536 VIAF: 1084147270727035700000 WorldCat Identities: viaf-1084147270727035700000
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死後と評価
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范増の死後に項羽は滎陽を攻めて落としたものの、劉邦には逃げられてしまう。 最終的に項羽は、范増の死から2年後の漢5年(紀元前202年)に垓下の戦いで大敗して、烏江で自害することになった。 范増は、項羽に亜父と呼ばれ敬愛されたが、最後は離れることになる。范増の進言を聞かなかった項羽は劉邦によって身を滅ぼすこととなり、范増の危惧は的中した。 劉邦は皇帝就任時、「自分は張良・蕭何・韓信を使いこなせたが、項羽は范増ひとりすら上手く使いこなせなかった。これが項羽の滅亡した原因である」と語った。 この一方で、佐竹靖彦は、著書『項羽』において、「たしかに、かれ(范増)は硬骨漢であり、信頼に値する人間であった。肉親さえ信じられない楚の陣営のなかで、かれは項羽が心から信頼することのできる人物として、重要な役割を果たしていた。しかし、かれに本当に軍師としての才能があったか否かはかならずしも明らかではない。『史記』のなかで、あるいは『史記』がもとづいた『楚漢春秋』のなかで、范増はつねに第一級の軍師としてあつかわれているが、実際に史料について見ると、今回の事件(滎陽の戦いにおける范増の辞任に至る事件)を除けば、かれが重要な建言をしたのは項梁に対して楚の懐王を擁立するように勧めたことだけである。(中略)この件を除くと、范増はつねに「劉邦はやがて天子になることが定められている人間であるから、いまやっつけなければ、あとで後悔することになります」という言葉を繰り返すだけの木偶の坊として描かれている。すなわち『史記』あるいは『楚漢春秋』のなかでは、かれはたんに劉邦王朝の出現が天命による必然であるとする預言者としてあつかわれているのである」と評している。
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