死後における著作発表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 15:16 UTC 版)
「カール・フォン・クラウゼヴィッツ」の記事における「死後における著作発表」の解説
クラウゼヴィッツの死後にはブレスラウの駐屯地で簡単な葬送行進が行われた。残されたマリー夫人はクラウゼヴィッツの死後に遺稿をまとめる作業を開始する。そして1832年に彼の遺稿は『戦争および戦争指導に関するカール・フォン・クラウゼヴィッツ将軍の遺稿』として出版され、現在では、その1巻から3巻までに『戦争論』の内容が収録されている。夫人が刊行の辞を書いており、この著作が不完全な状態にあることを、クラウゼヴィッツが問題視していたことについて述べている。そこには、友人のグラーベンやオエッツェルの手伝いによって出版ができた、ことについての感謝も述べられている。マリー夫人が死去する1836年までに7巻までが出版され、残りは翌年に協力者たちによって発表された。この遺稿集では『戦争論』だけでなく、戦史についての記述や政治論集なども含まれている。
※この「死後における著作発表」の解説は、「カール・フォン・クラウゼヴィッツ」の解説の一部です。
「死後における著作発表」を含む「カール・フォン・クラウゼヴィッツ」の記事については、「カール・フォン・クラウゼヴィッツ」の概要を参照ください。
- 死後における著作発表のページへのリンク