死後に果たされた家の存続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:51 UTC 版)
「小林一茶」の記事における「死後に果たされた家の存続」の解説
一茶が亡くなった翌年の文政11年(1828年)4月、やをは女児を出産した。一茶の死後に生まれた次女はやたと名付けられ、夭折した初婚の菊との間の4人の子どもとは異なり、やたはすくすくと成長していく。小林家では一茶を亡くし、やたが生まれた後、未亡人のやを、実父が中村徳左衛門家の三男倉次郎である倉吉、一茶の娘であるやたの3人で暮らしていた。しかし中村徳左衛門家で倉次郎の2人の兄が相次いで亡くなったため、家を継ぐことになった倉次郎は、天保6年(1835年)には実子の倉吉を引き取った上で善吉と改名させた。その後、善吉は分家して新たに一家を創立する。 結局、小林家は未亡人のやをと、一茶の子のやたの二人となった。無事に成長したやたは嘉永元年(1848年)頃、越後の高田(上越市)で農業を営んでいた丸山仙次郎の8男であった宇吉を婿に取った。小林姓となった宇吉は弥五兵衛と改名し、妻のやたとの間に3男1女の子宝に恵まれた。生前、一茶の念願でもあった家の存続は、一茶の死後に生まれたやたによって、ようやく果たされた形となった。 一茶の子ども一覧表名前母生年月日(旧暦)死亡日(旧暦)死亡時の年齢(数え年)千太郎(長男)菊 文化13年(1816年)4月14日 文化13年(1816年)5月11日 1歳 さと(長女)菊 文政元年(1818年)5月4日 文政2年(1819年)6月21日 2歳 石太郎(次男)菊 文政3年(1820年)10月5日 文政3年(1820年)11月11日 1歳 金三郎(三男)菊 文政5年(1822年)3月10日 文政6年(1823年)12月21日 2歳 やた(次女)やを 文政11年(1828年)4月 明治6年(1874年)9月13日 47歳
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