皇帝就任
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ガルバとは親戚関係にあり、その叛乱と即位を支持した。このためオトは、子のないガルバが後継者に自分を選ぶものと期待していたが、69年1月、ガルバはルキウス・カルプルニウス・ピソ・リキニアヌス(英語版)を後継者に指名した。期待を裏切られたオトは、2人の暗殺を計画し、23人のプラエトリアニを買収した。ガルバがピソを後継者に指名してから5日後、2人は暗殺され、オトは帝位についた。
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皇帝就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 07:53 UTC 版)
ガルバは順調に出世し、68年にユリウス・クラウディウス朝最後の皇帝ネロへのガリア総督ウィンデクスの反乱が起こった時(なお、この反乱は直後ルキウス・ウェルギニウス・ルフスによって鎮圧された。)は、60年からヒスパニア・タラコネンシスの総督を務めていた。 混乱の中でガルバは人の支持を集め、ルシタニア総督のオトと共にローマに進軍し、このガルバがローマへ向かうとの報に対して元老院はネロを捨て、ガルバを新たな皇帝として認めていた。国賊とされたネロはガルバがローマに入る前に自殺した。 しかし新皇帝になったガルバはネロの放蕩から帝国の財政の再建を図ろうとして支出を抑えようとし、本来なら何らかの恩恵をもらえるはずだったのにもらえなかった人々や皇帝就任時の敵対者として処罰された人々などから恨まれ、同盟者ニンフィディウスの暗殺が起き、さらに69年1月1日、ゲルマニア・スペリオル(上ゲルマニア)属州の2軍団が皇帝への忠誠宣誓を拒む事件が発生。翌日ゲルマニア・インフェリオル(下ゲルマニア)でも反乱がおき、駐在していた軍隊はゲルマニア・インフェリオル総督アウルス・ウィテッリウスをガルバにかわり皇帝に擁立するよう要求した。 これを知ったガルバは元老院議員の支持を得るため、ガルバは今まで仲間だったオトではなく、ローマの貴族ルキウス・カルプルニウス・ピソ・リキニアヌス(英語版)を後継者に選んだ。
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