イルスとレオンティウスらによる反乱(484年)
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「ゼノン (東ローマ皇帝)」の記事における「イルスとレオンティウスらによる反乱(484年)」の解説
一方、東方軍司令官に任命されたイサウリア人の将軍イルスは、東方で自分の地位を固めていた。イルスはウェリナとロンギヌスを人質としたままだったので、ゼノンはイサウリア人の将軍レオンティウスを使者として派遣してイルスに人質の解放を求めた。しかしレオンティウスはイルスを説得してウェリナを解放させるのではなくウェリナに説得されてウェリナとイルスの仲を取り持ち、イルスも人質の解放を拒んだため、ゼノンはコンスタンティノープルに残っていたイルスの一族から財産を没収して彼らをコンスタンティノープルから追放した。これに対してウェリナとイルスは484年にゼノンの廃位とレオンティウスの皇帝就任とを宣言してゼノンへの反乱を起こした。ゼノンはイルスを東方軍司令官から解任して新たにスキタイ人の将軍ヨハネス(英語版)を東方軍司令官に任命し、ヨハネスにテオドリックが率いていたゴート人の軍団を与えてイルスとレオンティウスの討伐を命じた。イルスとレオンティウスは故郷のイサウリアで籠城し、ヨハネスはイルスとレオンティウスの攻略に4年を費やした。
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