皇帝御用掛
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1932年3月の満州国建国後の1935年(昭和10年)3月に皇帝・愛新覚羅溥儀の御用掛(関東軍司令部付)となり同国の首都・新京に赴任。その後、日本の駐満州国大使館附武官などを兼務しながら同職を務める。第二次世界大戦勃発後1942年(昭和17年)12月に陸軍中将となり正三位勲一等を授与される。 1945年(昭和20年)8月8日にソ連軍がソ満国境を越えて満州国に侵攻した際に、溥儀ら満州国首脳とともに新京を放棄して朝鮮にほど近い通化省臨江県の大栗子に避難していたが、8月15日に日本が連合国に降伏したことに伴い8月18日に溥儀が大栗子で満州帝国解体と満州帝国皇帝からの退位を宣言したため、吉岡も全ての職位を失うこととなった。 その後、溥儀らとともにソ連軍に捕まることを避けて日本へ逃亡する途中、奉天の飛行場でソ連軍に捕らえられた。その後ソ連領内に移送され、ソ連当局からスパイ行為などの容疑を掛けられて尋問を受けた。1947年(昭和22年)にモスクワの病院で死去。墓はモスクワ市内のドンスコイ修道院内の日本人墓地にある。 ソ連崩壊後の1994年(平成6年)、ロシア連邦政府は、吉岡が当時ソ連に対するスパイ活動を行っていたという形跡は確認されず、拘留は不当なものであったと認めて名誉回復を行った。
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