ユリウス・クラウディウス朝とは? わかりやすく解説

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ユリウス=クラウディウス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 22:08 UTC 版)

ユリウス=クラウディウス朝(ユリウス=クラウディウスちょう、英語:Julio-Claudian dynasty)は、古代ローマ帝国の王朝で、初代皇帝アウグストゥスに始まる5人の皇帝(アウグストゥス、ティベリウスカリグラクラウディウスネロ)の治世を指す[1]




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ユリウス=クラウディウス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:48 UTC 版)

ローマ皇帝一覧」の記事における「ユリウス=クラウディウス朝」の解説

詳細は「ユリウス=クラウディウス朝」を参照 肖像名称生年誕生在位期間即位背景没年死因 アウグストゥス IMPERATOR CAESAR AVGVSTVS 紀元前63年9月23日ローマイタリア本土紀元前27年1月16日14年8月19日 プレブス階級(オクタウィウス氏族出身ユリウス・カエサル大甥(姉の孫)という縁で継承者途絶えたユリウス氏族カエサル家を継ぐ。最初ローマ皇帝として、元首政確立14年8月19日 自然死 ティベリウス TIBERIVS CAESAR AVGVSTVS 紀元前42年11月16日ローマイタリア本土14年9月18日37年3月16日 クラウディウス氏族出身アウグストゥス後妻リウィア連れ子で、継父大甥ゲルマニクス後見人として即位37年3月16日 自然死暗殺説あり) カリグラ GAIVS CAESAR AVGVSTVS GERMANICVS 12年8月31日 - アンティウムイタリア本土37年3月18日41年1月24日 クラウディウス氏族出身ゲルマニクス息子41年1月24日 近衛隊による暗殺 クラウディウス TIBERIVS CLAVDIVS CAESAR AVGVSTVS GERMANICVS 紀元前10年8月1日ルグドゥヌム(属州ガリア・ルグドゥネンシス41年1月25日26日説あり) – 54年10月13日 クラウディウス氏族出身ゲルマニクスの弟でカリグラ叔父。姪である小アグリッピナカリグラの妹)と再婚54年10月13日 小アグリッピナによる暗殺 ネロ NERO CLAVDIVS CAESAR AVGVSTVS GERMANICVS 37年12月15日アンティウムイタリア本土54年10月13日 - 68年6月9日 クラウディウス氏族出身継父養子となる前はドミティウス氏族属したカリグラの妹である小アグリッピナの子で、クラウディウス養子68年6月11日 自害

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ユリウス=クラウディウス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 17:15 UTC 版)

第14軍団ゲミナ」の記事における「ユリウス=クラウディウス朝」の解説

低地ゲルマニアのモグンティアクムに駐在する43年クラウディウス治世ブリタンニア侵攻、そして60年61年68年ボウディッカ反乱の鎮圧参加した

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ユリウス=クラウディウス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 19:39 UTC 版)

プリンキパトゥス」の記事における「ユリウス=クラウディウス朝」の解説

初代皇帝アウグストゥスから5代わたって実質的に血縁者による皇帝地位世襲が行われる(ユリウス=クラウディウス朝)。 帝政とはいっても、ローマ主権者は"Senatus Populusque Romanus":SPQR、「元老院ローマ市民」であり続ける。ローマ皇帝元老院承認市民歓呼)によって統治託されるという形式をとる。帝政が続くにつれてこれも形骸化していくが、王政アレルギーともいえるローマで帝政樹立するには、このような曖昧不明瞭な形を取るしかなかった。終身独裁官という「明瞭な地位についたカエサルは、それ故暗殺されてしまったという強烈な教訓アウグストゥス決し忘れなかったからである。 皇帝承認だけでなく、後継者の指名護民官職権授与)も元老院にかける必要があった。そして皇帝勅令そのままでは1代限り暫定処置法でしかなく、恒久法制化には元老院議決が必要であった。いわば「チェック機能を持つ帝政」である。そしてネロは「国家の敵」と決議され元老院市民承認取り下げられたことで自殺へと追いやられた。 そして帝政ローマ内乱期経てフラウィウス朝、五賢帝時代へと続く。

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