ユリウス=クラウディウス朝期
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「第5軍団アラウダエ」の記事における「ユリウス=クラウディウス朝期」の解説
帝政ローマの時代にはライン川流域の防衛に務め、大ドルススの指揮のもとゲルマン人討伐のためにゲルマニアに遠征、第5軍団はウェ−ゼル川を越え、紀元前9年にはエルベ川流域まで侵攻する。6年には後のローマ皇帝ティベリウスの指揮のもとでマルコマンニ族討伐に出撃。 第5軍団の他に第8軍団アウグスタ、第15軍団アポッリナリス、第20軍団ウァレリア・ウィクトリクス、第21軍団ラパクス、第13軍団ゲミナ、第14軍団ゲミナ、第16軍団ガッリカが参加した。 しかしながらトイトブルクの戦いで第17軍団、第18軍団、第19軍団が敗北、消滅すると補充のために第21軍団ラパクスとともに低地ゲルマニアのクサンテンに駐在するようになった。
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ユリウス=クラウディウス朝期
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「第3軍団キュレナイカ」の記事における「ユリウス=クラウディウス朝期」の解説
記録として最初に第3軍団の名が出てくるのはアウグストゥスがプトレマイオス朝を倒し、属州アエギュプトゥスを設置した頃であり、当時はアレクサンドリアに第22軍団デイオタリアナと野営地を共有して駐在していた。また、紀元前22年にはヌミディア王国との戦闘に従軍、63年にはアルメニアの内政干渉問題で起こったパルティアとの戦闘に従軍した事が第22軍団側の資料から窺える。
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ユリウス=クラウディウス朝期
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「第7軍団クラウディア・ピア・フィデリス」の記事における「ユリウス=クラウディウス朝期」の解説
オクタウィアヌスがローマ皇帝になり「アウグストゥス」と名乗ると、軍団はガラティアへ駐在。この時期までの通称は「マケドニカ」と呼ばれる事が多かった。またこの通称で呼ばれるようになったのはピリッピの戦いの後からとも考えられている。トイトブルク森の戦いで第17軍団、第18軍団、第19軍団が全滅するとダルマティアへ、第11軍団と宿営地を共有する。 時代は下ってクラウディウスの治世となるとルキウス・アッルンティウス・カミッルス・スクリボニアヌスが反乱、しかし第11軍団とともに第7軍団は迅速に鎮圧する。この功績により第11軍団とともに「クラウディア・ピア・フィデリス」(忠実たるクラウディウスの軍団)という栄誉ある名称を下賜される。ネロの治世ではグナエウス・ドミティウス・コルブロがパルティアとの戦役を展開していた際に第4軍団スキュティカに代わって第7軍団が東方に異動、しかし駐屯地の正確な場所は分かってはいない。
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ユリウス=クラウディウス朝期
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「第4軍団マケドニカ」の記事における「ユリウス=クラウディウス朝期」の解説
カエサル暗殺後、跡を継いだオクタウィアヌスのもと、第4軍団はピリッピの戦い、アクティウムの海戦に参加、マルクス・アントニウスに勝利した。そして今やアウグストゥスと名乗るようになったオクタウィアヌスはヒスパニア・タラコネンシスに第4軍団を派遣、カンタブリア人の反乱の鎮圧に参加した。紀元前13年に反乱が収まると第4軍団はそのままヒスパニアに駐留、以降ヒスパニアは属州としてローマ帝国の支配下に入るようになった。 43年には第4軍団は高地ゲルマニアに移動、先任の第14軍団ゲミナがブリタンニア遠征に出征すると、その後任に就く。そして第22軍団プリミゲニアとともにモグンティアクムに駐留した。
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ユリウス=クラウディウス朝期
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「第3軍団ガッリカ」の記事における「ユリウス=クラウディウス朝期」の解説
そして第3軍団はグナエウス・ドミティウス・コルブロが指揮官として赴任すると対パルティア戦で活躍する。しかしコルブロのこの一連の戦略的勝利は皇帝ネロを警戒させ、コルブロは自死を命ぜられ、軍団はドナウ川流域の属州モエシアに移動となった。
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