藤堂高雅とは? わかりやすく解説

藤堂高雅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/11 02:17 UTC 版)

 
藤堂高雅
時代 江戸時代中期
生誕 享保12年12月28日1728年2月13日
死没 宝暦12年9月20日1762年11月5日
改名 幸次郎(幼名)、高雅
戒名 元覚院殿慈達諦岸大居士
墓所 三重県津市寿町の寒松院
官位 従五位下、佐渡
幕府 江戸幕府
伊勢国久居藩
氏族 藤堂氏
父母 父:藤堂高治、母:長谷氏(直生院)
兄弟 高雅高般
正室:前田利隆の娘・(妙仙院)
継室:柳沢信鴻の養女(柳沢信睦の娘)・千賀
養子:高敦(のちの高嶷
テンプレートを表示

藤堂 高雅(とうどう たかまさ)は、江戸時代中期の大名伊勢久居藩の第6代藩主。久居藩藤堂家6代。久居陣屋の主。

生涯

公的には、享保6年(1722年)12月28日、藤堂家一門の藤堂出雲家第4代・藤堂高武の四男として津で生まれたとされるが、実は、享保12年(1728年)12月28日、久居藩藩主だった藤堂高治の長男として久居で生まれた。早く末期養子を迎えられる17歳に達するために生年を偽って幕府に届けられており、幕府が編纂した『寛政重修諸家譜』では享保6年(1722年)生まれとされ、『藤堂家譜』、『公室年譜略』等では正しい生年の享保12年(1728年)とされる。

享保20年(1735年)8月2日、津藩主の父高治が死去。幸次郎(高雅)はまだ9歳と幼いため、久居藩主・高豊が本家津藩主として転任し、高豊に代わって久居藩主を継いだ。元文3年(1738年)、桜田防火使となり、その後も神田橋門監衛、大手防火使になる。同年12月18日に叙任する。

藤堂高雅の墓(津市寒松院)

藩政においては、雲出川の洪水による領民に対する救済、財政難による倹約や家臣の生活救済に尽力した。宝暦12年(1762年)9月20日、久居で死去した。享年36。

跡を養子の高敦(高豊の長男)が継いだが、高敦ものちに津藩主を継いだ(その際に高嶷と改めた)。

系譜

父母

正室、継室

  • 幸(妙仙院) − 前田利隆の娘(正室)
  • 千賀 − 柳沢信鴻の養女、柳沢信睦の娘(継室)

養子

参考文献




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤堂高雅」の関連用語

藤堂高雅のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤堂高雅のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤堂高雅 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS