死に出の地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 01:01 UTC 版)
詳細は「en:Ghats in Varanasi」を参照 ヴァーラーナシーは、ヒンドゥー教における七聖都、三祖霊供養所の両方に名を連ねる。またインド国内外から多数の人々が大勢やってくる大巡礼地である。 ガートという傾斜した階段状の沐浴場があり、ガンジス川 の西岸、約 6.4 km間を 84 のガートにより形成されている。沐浴とはヒンドゥー教の身を清める儀式で、まず川に入り、太陽に向かい聖水を手に汲み、祈りの言葉をつぶやきながら太陽に捧げ、その後、自分の頭や体に水をかけて清める。沐浴は朝日に向かって行うのが最も良いとされており、そのためヒンドゥー教の巡礼者たちは早朝から、このガートからガンジスの水の中に浸り、朝日に祈りを捧げる。これが聖地ヴァーラーナシーを代表する光景となっている。また、洗濯する人やヨーガを行う人がいたり、小広場や祝祭の場、レスリングの会場にもなるなど、宗教のみならず生活にも密着した日常生活と社交の場として機能している。 「パンチャティルティー・ヤートラ」という巡礼路があり、五つの聖地と川辺を巡るという。巡る五つの聖地が、最南端のアッシー・ガート、中央のダシャーシュワメーダ・ガート、最北端のアディ・ケーシャヴァ・ガートをまわり、南下してパンチャガンガー・ガート、マニカルニカー・ガートで構成されている。特にダシャーシュワメード・ガートは、常に多くの巡礼者が集まり、毎晩日没後に行われるヒンドゥー教の礼拝儀式プージャーは、ドラと太鼓の音に合わせて美しい歌のような祈りが朗々と響きわたり(独唱)、僧侶が花を浮かべ、川にむかって蜀台の火を掲げて祈りをささげる。礼拝が終わると信者は僧侶の祝福を受け、米をいただき、ろうそくをたてた花かごを川に浮かべる。 ヴァーラーナシーのガンガー近くで死んだ者は、輪廻から解脱できると考えられている。このためインド各地から多い日は100体近い遺体が金銀のあでやかな布にくるまれ運び込まれる。また、インド中からこの地に集まりひたすら死を待つ人々もいる。彼らはムクティ・バワン(解脱の館)という施設で死を待つ。ここでは24時間絶えることなくヒンドゥー教の神の名が唱えられる。亡くなる人が最期のときに神の名が聞こえるようにとの配慮である。ここで家族に見守られながら最期の時を過ごす。 マニカルニカー・ガートとハリシュチャンドラ・ガートは、火葬場としての役割を果たしており、死者はここでガンガーに浸されたのちにガートで荼毘に付され、遺灰はガンガーへ流される。赤ん坊、妊婦、蛇に噛まれて死んだ人は、黄色い布に包まれたまま船に乗せられ、川の中程まで出たところで浮いてこないように、重しとなる石を足にくくりつけ川に流される。2つの火葬場はドームという同じ一族が取り仕切っており、働く人々も共通であり、交代勤務で約650人が働いている。火葬場を見下ろす一角には、火葬場を取り仕切ってきた一族ドームの長の座る場所がある。ここには聖なる火と呼ばれる種火が焚かれ、人々はこの火より火葬にする火種をもらう。ヴァーラーナシーは別名「大いなる火葬場」とも呼ばれており、年中煙の絶えることはない。なお、火葬場の写真撮影は厳格に禁止されている。インドの多くの人々は一生に一度、この巡礼路を歩くことを夢と考えている。 かつて、イギリスとインドの価値観(主にヒンズー教とキリスト教の死に対するもの)の違いからイギリス人による火葬場の郊外への移転が企てられた。これに対しベナレスの人々は強い異議を唱えた。火葬論争は30年にわたって続いた。この際の記録がベナレス市公文書館に残されている。「ベナレス市制報告書(1925年)」がそれであるが、ここにはこう記されている。「火葬場が町のために存在するのではない。町が火葬場のために存在するのである」。イギリス政府が認めざるを得なかった、ベナレスの死の伝統である。 アヒリヤー・ガート チェット・シング・ガート ダシャーシュワメード・ガート レーワン・ガート ジャイナ・ガート ラリター・ガート ムンシー・ガート
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