正帝即位後とは? わかりやすく解説

正帝即位後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 06:00 UTC 版)

バシレイオス2世」の記事における「正帝即位後」の解説

976年ヨハネス1世死によって、成人していたバシレイオス晴れて正帝となったが、寝室管理長官である大叔父のバシレイオス・レカペノスが引き続き政権握ることになり、バシレイオス・レカペノスと対立したバルダス・スクレロスの反乱第一次ブルガリア帝国再興ブルガリア皇帝サムイル侵攻悩まされることになる。 986年トラヤヌスの門の戦い出陣するも小男ステファノスとレオン・メリセノスとの内部対立もあって第一次ブルガリア帝国敗北した。バルダス・スクレロスの反乱鎮圧した軍事貴族バルダス・フォカス(ニケフォロス2世フォカスの甥)やエウスタティオス・マレイオスなど、この戦いで不参加であった軍事貴族の不満や傭兵への敬意欠けたバシレイオス2世の対応、占星術師らに端を発する「BはBを追い払い、Bが支配する」という流言による民心動揺もあり、バルダス・フォカスの反乱起こり絶体絶命危機陥った。しかし軍事貴族反乱キエフ大公国援軍en:Rus'-Byzantine War (987))を得てコンスタンティノス8世とともに出陣し臨んだアビドゥスでの決戦におけるバルダス・フォカスの死やこの反乱合流していたバルダス・スクレロスの懐柔平定成功した加えてバルダス・フォカスの反乱前後大叔父バシレイオス・レカペノスを追放しコンスタンティノス8世政治無関心なこともあり実権掌握した989年コンスタンティノープル地震ハギア・ソフィア大聖堂一部崩落したが、これを再建する第一次ブルガリア帝国に対して幾度も戦いの末、997年スペルヒオス川の戦い戦況好転し1014年クレディオン峠の戦い大勝した。クレディオン戦の際、ブルガリア人捕虜1万4千のうち100人に付き1人だけ片目を、残りのものは両目潰しブルガリア皇帝サムイル元へ送り返した。ひとりの目が見える男を先頭99人の盲人付き従って帰還したその光景見てサムイル卒倒して死去したという。1018年にはブルガリアを完全に滅ぼして東ローマ帝国によるバルカン半島全域支配を約400年振り回復した。これによってバシレイオス2世には「ブルガロクトノス(ブルガリア人殺し)」というあだ名付けられた。しかし、征服した後はまるで別人のように寛容政策取り帝国他地域違って税金物納にすることも許している。 また、イスラーム勢力南イタリアランゴバルド人との戦いにも勝利し、北はドナウ川、南はクレタ島、東はシリア・アルメニア、西は南イタリアマグナ・グラエキア)に及ぶ大帝国建設東ローマ帝国中世黄金時代もたらした11世紀中頃知識人政治家であるミカエル・プセルロスは、他の皇帝違ってバシレイオス勝利するまで帰還することなく戦い続けた年代記残している。ある時などは、ブルガリア交戦中にシリアアンティオキアイスラーム勢力によって攻撃されたと聞くと、そのままブルガリアから軍を率いてシリア転戦しイスラーム勢力追い払ったのである内政面では皇帝による専制政治推し進めた。プセルロスは「バシレイオス書かれた法に従うこともなく何もかも一人決めた」と記している。ここに、古代ディオクレティアヌス帝から始まったローマ帝国皇帝専制体制はその頂点迎えたのであるバシレイオスは自らを苦しめた軍事貴族大土地所有者を抑圧し彼等農民から不正に取得した土地没収などを行う一方で中小農民土地保護などに努めた。ある時などは、皇帝自ら不正に大規模な土地取得した者の屋敷乗り込み屋敷壊して土地没収するということまで行った。 また贅沢を慎み財政支出抑制したので宮殿倉庫財宝埋め尽くされバシレイオス命令拡張されたほどであったという。このように度重なる外征行いながらも国家財政健全化成し遂げたが、一方でその緊縮財政により、経済発展抑えられる結果ともなった。 さらに、1024年反乱en:Rus'–Byzantine War (1024))平定援軍派遣見返りとしてキエフ大公ウラジーミル1世と妹アンナ縁組させたことによってロシア・ウクライナがキリスト教化し、正教会勢力北方拡大させることにも成功した

※この「正帝即位後」の解説は、「バシレイオス2世」の解説の一部です。
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