正帝時代とは? わかりやすく解説

正帝時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/30 08:45 UTC 版)

アレクサンドロス (東ローマ皇帝)」の記事における「正帝時代」の解説

権力握ったアレクサンドロスは、レオーン6世政策多く変更し、こと兄嫁皇太后のゾエ・カルボノプシナに敵対的であった。まず総主教のエウテュミオスを罷免して、レオーン6世再婚巡って対立して追放されていたニコラオス1世ミュスティコスを復位させた。また896年第一次ブルガリア帝国結んだ和約破棄して貢納金の支払い打ち切った。そのためシメオン1世が再びブルガリア侵攻する原因生んだ。さらに、ゾエ・カルボノプシナの親族イスラーム艦隊敗れて撤退してきたヒメリオスを更迭投獄した913年6月6日在位わずか1年にして病死した。彼は後見していたコンスタンティノス7世によって後継されるが、なお幼児だったため、ニコラオス1世ミュスティコスやステファノス・カロマリアス(フォティオス従兄弟)らにコンスタンティノス後見依頼して没した聖ソフィア大聖堂彼の全身描いたモザイク残されている(本項冒頭画像参照)。 ウィキメディア・コモンズには、アレクサンドロス (東ローマ皇帝)関連するメディアあります。 表 話 編 歴 東ローマ皇帝 テオドシウス朝 アルカディウス395-408 / テオドシウス2世408-450 / マルキアヌス450-457 レオ朝 レオ1世457-474 / レオ2世474 / ゼノン474-475 / バシリスクス対立皇帝)475-476 / ゼノン復位)476-491 | 断絶 | アナスタシウス1世491-518 ユスティニアヌス朝 ユスティヌス1世518-527 / ユスティニアヌス1世527-565 / ユスティヌス2世565-578 / ティベリウス2世578-582 / マウリキウス582-602 / フォカス602-610 ヘラクレイオス朝 ヘラクレイオス610-641 / コンスタンティノス3世641 / ヘラクロナス641 / コンスタンス2世641-668 / コンスタンティノス4世668-685 / ユスティニアノス2世685-694 / レオンティオス695-698 / ティベリオス3世698-705 / ユスティニアノス2世復位)705-711 | 断絶 | フィリピコス・バルダネス711-713 / アナスタシオス2世713-715 / テオドシオス3世715-717 イサウリア朝 レオーン3世717-741 / コンスタンティノス5世741-775 / レオーン4世775-780 / コンスタンティノス6世780-797 / エイレーネー797-802 ニケフォロス朝 ニケフォロス1世802-811 / スタウラキオス811 / ミカエル1世ランガベ811-813 / レオーン5世813-820 アモリア朝 ミカエル2世820-829 / テオフィロス829-842 / ミカエル3世842-867 マケドニア朝 バシレイオス1世867-886 / レオーン6世886-912 / アレクサンドロス912-913 / コンスタンティノス7世913-959 / ロマノス1世レカペノス920-944 / ロマノス2世959-963 / ニケフォロス2世フォカス963-969 / ヨハネス1世ツィミスケス969-976 / バシレイオス2世976-1025 / コンスタンティノス8世1025-1028 / ロマノス3世アルギュロス1028-1034 / ミカエル4世1034-1041 / ミカエル5世1041-1042 / ゾエ1042 / テオドラ共同皇帝)1042 / コンスタンティノス9世モノマコス1042-1055 / テオドラ復位)1055-1056 | 断絶 | ミカエル6世ストラティオティコス1056-1057 / イサキオス1世コムネノス1057-1059 ドゥーカス朝 コンスタンティノス10世1059-1067 / エウドキア・マクレンボリティサ1067-1068 / ロマノス4世ディオゲネス1068-1071 / ミカエル7世1071-1078 / ニケフォロス3世ボタネイアテス1078-1081 コムネノス朝 アレクシオス1世1081-1118 / ヨハネス2世1118-1143 / マヌエル1世1143-1180 / アレクシオス2世1180-1183 / アンドロニコス1世1183-1185 アンゲロス朝 イサキオス2世1185-1195 / アレクシオス3世1195-1203 / イサキオス2世復位)1203 / アレクシオス4世1203-1204 / アレクシオス5世ドゥーカス1204 / コンスタンティノス・ラスカリス1204 ラスカリス朝 テオドロス1世1205-1222 / ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス1222-1254 / テオドロス2世1254-1258 / ヨハネス4世1258-1261 パレオロゴス朝 ミカエル8世1258-1282 / アンドロニコス2世1282-1328 / ミカエル9世共同皇帝)1294-1320 / アンドロニコス3世1328-1341 / ヨハネス5世1341-1376 / ヨハネス6世カンタクゼノス1347-1354 / マタイオス・カンタクゼノス共同皇帝)1353-1357 / アンドロニコス4世1376-1379 / ヨハネス5世復位)1379-1391 / ヨハネス7世対立皇帝)1390 / ヨハネス5世復位)1391 / マヌエル2世1391-1425 / ヨハネス8世1425-1448 / コンスタンティノス11世1448-1453

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