構内配線の変遷とは? わかりやすく解説

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構内配線の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 08:34 UTC 版)

大阪上本町駅」の記事における「構内配線の変遷」の解説

歴代上本町駅鉄道配線略図変遷注意巨大画像 図幅600px、7画像)を表示するには、右の [表示] をクリックされたい第1期 1926年大正15年9月以前大阪電気軌道上本町駅配線奈良方面 凡例 出典:以下を参考作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年。※本図1926年大正15年9月移転前の配線であり、駅開業時配線とは異な部分がある。白線クロスハッチは降車専用プラットホーム青色貨物用ホーム第2期 1926年大正15年9月移転時の大阪電気軌道上本町駅配線奈良 方面 凡例 出典:以下を参考作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年※白線クロスハッチは降車専用プラットホーム青色貨物用ホーム第3期 1930年昭和5年10月時点大阪電気軌道上本町駅配線奈良宇治山田方面 凡例 出典:以下を参考作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 100年のあゆみ - 1910~2010」、154頁図3-6上本町駅配線変遷昭和5~14年)」、2010年※白線クロスハッチは降車専用プラットホーム青色貨物用ホーム第4期 1933年昭和8年12月時点大阪電気軌道上本町駅配線奈良宇治山田方面 凡例 出典:以下を参考作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 100年のあゆみ - 1910~2010」、154頁図3-6上本町駅配線変遷昭和5~14年)」、2010年。※6番線ホーム6両編成用へ延伸※白線クロスハッチは降車専用プラットホーム青色貨物用ホーム第5期 1939年昭和14年10月時点大阪電気軌道上本町駅配線奈良宇治山田方面 凡例 出典:以下を参考作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年。※紀元2600年奉祝利用増を見越して6両編成対応の7番線増設※白線クロスハッチは奈良線降車専用プラットホーム青色貨物用ホーム第6期 1951年昭和26年12月時点近畿日本鉄道上本町駅配線奈良宇治山田方面 凡例 出典:以下を参考作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 100年のあゆみ - 1910~2010」、241頁図5-4改良工事前の上本町駅」および242頁図5-5改良工事前の上本町布施間」、2010年。※7番線新設※白線クロスハッチは奈良線降車専用プラットホーム青色貨物用ホーム第7期 1956年昭和31年12月8日時点近畿日本鉄道上本町駅配線奈良宇治山田方面 凡例 出典:以下を参考作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 100年のあゆみ - 1910~2010」、241頁図5-4改良工事前の上本町駅」および242頁図5-5改良工事前の上本町布施間」、2010年。※降車ホーム出発到着線立体交差廃止、9面8線へ。■貨物ホームを600m鶴橋方へ移設。※上本町1号踏切廃止立体交差化。大阪線優等列車出発時の上り線一部区間逆走解消。■:1-4奈良線、■:5-8大阪線ホームとし完全分離奈良線に1線、大阪線に2線の引上線新設布施駅まで線路別複々線化し大阪線のみ1500Vへ昇圧開業時発着線2本をホーム3面が挟むシンプルな構成で、中央乗車ホーム両側降車ホームとしていた。 1926(大正15)年の移転時に完成した駅は、出発線到着線立体交差しており、出発列車到着列車相互支障生じないよう工夫されていた。櫛形ホーム手前には降車ホームがあり、ここで乗客降ろしたあと乗車ホーム入線していた。 1930(昭和5)年には、参宮急行電鉄大軌の子会社直通運転先)が山田駅まで開通するのに備え3両編成用の発着線を2線新設した。1933年にはそのうち一線6両編成分まで延長紀元二千六百年記念行事目前控えた1939昭和14)年には、新たに6両編成分の発着線を駅南端に増設した。これらのホーム発着する4両編成上の列車は、配線直接上り線合流することができず、下り線をしばらく逆走したのち、当駅と鶴橋駅との間にある渡り線使って上り線合流するという、非効率な運転を余儀なくされた。 戦時中統合政策により近鉄発足し迎えた戦後1956(昭和31)年には、大阪線奈良線分離し線路別複々線とする工事が行われた。これに伴い上本町駅改造が行われ、降車ホーム立体交差廃止櫛形ホーム9面8線となり、奈良線大阪線それぞれ4線ずつ使用した1970年3月1日には、難波線完成に伴い奈良線ホーム地下移転。この時点では難波線内は営業運転行わず難波まで習熟運転として往復し、再び上本町から客扱い行った同月21日には晴れて営業運転となり、この時から地上6線は大阪線専用となった1985年10月には、大阪線10両編成化に伴いホーム延長1993年には引上線新設している。

※この「構内配線の変遷」の解説は、「大阪上本町駅」の解説の一部です。
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