構内配線の変遷
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※ 歴代上本町駅の鉄道配線略図の変遷(注意・巨大画像 図幅600px、7画像)を表示するには、右の [表示] をクリックされたい。 第1期 1926年(大正15年)9月以前の大阪電気軌道上本町駅の配線 →奈良方面 凡例 出典:以下を参考に作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年。※本図は1926年(大正15年)9月の移転前の配線であり、駅開業時の配線とは異なる部分がある。白線クロスハッチは降車専用プラットホーム、青色は貨物用ホーム。 第2期 1926年(大正15年)9月移転時の大阪電気軌道上本町駅の配線 →奈良 方面 凡例 出典:以下を参考に作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年。※白線クロスハッチは降車専用プラットホーム、青色は貨物用ホーム。 第3期 1930年(昭和5年)10月時点の大阪電気軌道上本町駅の配線 →奈良・宇治山田方面 凡例 出典:以下を参考に作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 100年のあゆみ - 1910~2010」、154頁図3-6 「上本町駅配線の変遷(昭和5~14年)」、2010年。※白線クロスハッチは降車専用プラットホーム、青色は貨物用ホーム。 第4期 1933年(昭和8年)12月時点の大阪電気軌道上本町駅の配線 →奈良・宇治山田方面 凡例 出典:以下を参考に作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 100年のあゆみ - 1910~2010」、154頁図3-6 「上本町駅配線の変遷(昭和5~14年)」、2010年。※6番線ホームを6両編成用へ延伸。※白線クロスハッチは降車専用プラットホーム、青色は貨物用ホーム。 第5期 1939年(昭和14年)10月時点の大阪電気軌道上本町駅の配線 →奈良・宇治山田方面 凡例 出典:以下を参考に作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年。※紀元2600年奉祝の利用増を見越して、6両編成対応の7番線増設。※白線クロスハッチは奈良線降車専用プラットホーム、青色は貨物用ホーム。 第6期 1951年(昭和26年)12月時点の近畿日本鉄道上本町駅の配線 →奈良・宇治山田方面 凡例 出典:以下を参考に作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 50年のあゆみ」、84・85頁、「上本町駅変遷図」、1960年。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 100年のあゆみ - 1910~2010」、241頁図5-4 「改良工事前後の上本町駅」および242頁図5-5 「改良工事前後の上本町・布施間」、2010年。※7番線新設。※白線クロスハッチは奈良線降車専用プラットホーム、青色は貨物用ホーム。 第7期 1956年(昭和31年)12月8日時点の近畿日本鉄道上本町駅の配線 →奈良・宇治山田方面 凡例 出典:以下を参考に作成。* 近畿日本鉄道編集、「近畿日本鉄道 100年のあゆみ - 1910~2010」、241頁図5-4 「改良工事前後の上本町駅」および242頁図5-5 「改良工事前後の上本町・布施間」、2010年。※降車用ホームと出発・到着線の立体交差を廃止、9面8線へ。■貨物ホームを600m鶴橋方へ移設。※上本町1号踏切を廃止、立体交差化。大阪線優等列車出発時の上り線一部区間逆走も解消。■:1-4を奈良線、■:5-8を大阪線ホームとし完全分離。奈良線に1線、大阪線に2線の引上線を新設。布施駅まで線路別複々線化し、大阪線のみ1500Vへ昇圧。 開業時は発着線2本をホーム3面が挟むシンプルな構成で、中央を乗車ホーム、両側を降車ホームとしていた。 1926(大正15)年の移転時に完成した駅は、出発線と到着線が立体交差しており、出発列車と到着列車の相互支障が生じないよう工夫されていた。櫛形ホーム手前には降車ホームがあり、ここで乗客を降ろしたあと乗車ホームに入線していた。 1930(昭和5)年には、参宮急行電鉄(大軌の子会社で直通運転先)が山田駅まで開通するのに備え、3両編成用の発着線を2線新設した。1933年にはそのうち一線を6両編成分まで延長、紀元二千六百年記念行事を目前に控えた1939(昭和14)年には、新たに6両編成分の発着線を駅南端に増設した。これらのホームを発着する4両編成以上の列車は、配線上直接上り線に合流することができず、下り線をしばらく逆走したのち、当駅と鶴橋駅との間にある渡り線を使って上り線に合流するという、非効率な運転を余儀なくされた。 戦時中の統合政策により近鉄が発足し、迎えた戦後1956(昭和31)年には、大阪線と奈良線を分離し、線路別複々線とする工事が行われた。これに伴い、上本町駅も改造が行われ、降車ホームと立体交差を廃止、櫛形ホーム9面8線となり、奈良線と大阪線がそれぞれ4線ずつ使用した。 1970年3月1日には、難波線完成に伴い奈良線ホームが地下に移転。この時点では難波線内は営業運転を行わず、難波まで習熟運転として往復し、再び上本町から客扱いを行った。同月21日には晴れて営業運転となり、この時から地上6線は大阪線専用となった。 1985年10月には、大阪線の10両編成化に伴いホームを延長、1993年には引上線を新設している。
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