東電の火力包括提携
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JERAの元になる構想は、2011年(平成23年)3月に東京電力(東電)の福島第一原子力発電所で炉心溶融・水素爆発事故が発生した直後からあったという。それは、東電の可児行夫(現・JERA副社長)、見學信一郎(後の東京電力ホールディングス常務執行役)、関知道(現・東京電力ホールディングス常務執行役)ら「チーム希望」と称する若手グループが提言したもので、東電から原子力部門を事故の責任と一緒に切り離し、東電本体は民間の自由な火力発電会社として生き残るという東電解体プランであったともいう。この提言は、時の東電会長・勝俣恒久の怒りを買い、可児はオーストラリアに左遷された。 2012年(平成24年)、東電の経営破綻を回避するため、原子力損害賠償支援機構(原賠機構。現・原子力損害賠償・廃炉等支援機構)が東電に1兆円出資し、議決権の過半数を握ることになった。6月、東電プロパーの勝俣、社長の西沢俊夫らは退任し、経済産業省官僚の嶋田隆(後の経済産業事務次官)が原賠機構経由で東電に乗り込んできた。取締役・執行役・会長補佐兼経営改革本部事務局長に就いた嶋田は、「東電の企業文化に染まり切っていない人材を登用する」という理由で従来の主流派を退け、非主流派を抜擢した。おかげで、可児は、左遷先から東電本店に復帰することができた。 当時、東電は、全ての原子力発電所(原子炉17基)で発電を停止し、これを火力発電で代替したため、火力発電用の燃料費は、事故前の2倍、年間3兆円に達した。海外の資源企業には、東電の信用リスクを考慮して、東電向けの価格を引き上げたり、東電との取引に政府保証を求めたりする動きがあった。また、老朽化した火力発電所は建て替えなければ、将来の安定供給に支障をきたすおそれがあったが、東電単独では、建て替えに必要な資金が調達できそうにない状況であった。 つまり、当時の東電は、火力発電用燃料の調達も、火力発電所の建て替えも、独力では厳しい状況になりつつあった。したがって、東電は「虎の子の首都圏市場を差し出す」ことも覚悟の上で、燃料・火力発電事業で他社と提携する必要に迫られた。 若手グループの提言が日の目を見る時が来た。ただし、原子力事故の責任を都合よく東電本体から切り離すことは、法律上、不可能に等しい。しかも嶋田隆は、東電の経営破綻回避の仕組みを作るために奔走した官僚であり、「東電は福島をやるために資本主義の原則を曲げてまで、つぶさなかった。福島を切り離すならつぶしたほうがいい」という考えの持ち主であった。したがって、東電本体から切り離されるのは、事故の責任を負う原子力部門ではなく、燃料・火力部門であった。 2013年(平成25年)末に作成された東電の『新・総合特別事業計画』では、「燃料上流から発電までのサプライチェーン全体において、東電主導による働きかけのもと、戦略共有と資本的提携を前提にアライアンスパートナーと包括的な事業提携(2014年度中)を行い、双方の設備、運用を高度に統合するなど思い切った取り組みを行う」という方針が打ち出された。この「特別事業計画」は、通常の会社の事業計画とは異なり、東電が原賠機構から資金援助を受ける条件として、機構と東電が共同で作成し、主務大臣(経済産業大臣ほか)の認定を受けたものであり、経済産業省の意向を反映したものであることは間違いない。 東電は、2014年(平成26年)3月から、燃料・火力発電事業に関する包括提携の相手を募集した。3月中旬、東電は、中部電力、東京ガス、関西電力、大阪ガス、JXホールディングス(現・ENEOSホールディングス)に提携の提案書を送付した。
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