東部方面軍
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「ベネディクト・アーノルド」の記事における「東部方面軍」の解説
1776年12月8日、イギリス軍のヘンリー・クリントン将軍の指揮する大部隊がロードアイランド植民地のニューポートを占領した。ワシントンは、この時までにゲイツと北部軍と共にペンシルベニア植民地に到着していたアーノルドに、ニューイングランドに戻りロードアイランド防衛のための民兵隊を立ち上げるよう命令した。アーノルドはジョセフ・スペンサー少将が指揮する大陸軍東部方面軍の副司令官になった。12月8日、アーノルドは一年以上も家族に会っていなかったので、ニューヘイブンで家族と共に一週間を過ごし、1777年1月12日にプロビデンスに到着し、ロードアイランド防衛隊の指揮を執った。ロードアイランドの大陸軍は、ワシントンのトレントン攻撃に部隊を割いており、約2,000名に減っていた。アーノルドは追加部隊を立ち上げることを公表したが、ほとんど応募は無かった。15,000名のイギリス軍を眼前に置き、防御に徹した。 1777年2月、ボストンで良く知られた王党派の娘でボストン一の美女とも言われたベッチー・デブロアと知り合い、真剣な交際を重ねた。しかし、この「天国のデブロア嬢」はアーノルドが繰り返しプロポーズしても拒否した。彼女はまだ15歳に過ぎなかったからだとも言われている。アーノルドがロードアイランドに戻ると、少将への昇進が大陸会議によって見送られたことを知った。ワシントンはアーノルドの辞任の申し出を拒否し、大陸会議議員にこれを正すよう手紙を書き、もし彼らが政治的に動かされた昇進に固執するなら、「2人や3人の良い士官」が失われるかもしれないと伝えた。 イギリス軍が占領するニューポートを攻撃する作戦が棚上げされた後に、アーノルドは大陸会議やワシントンと自分の将来について話し合うためにフィラデルフィアに向かい、途中で再び家族に会うためにニューヘイブンに立ち寄った。4月26日、そこへ伝令が来て、イギリス軍のニューヨーク最後のイギリス知事ウィリアム・トライアン少将が2,000名の部隊を連れてノーウォークに上陸したことを知らせた。トライアンはロングアイランド湾に沿ってフェアフィールドに進軍し、内陸に入って大陸軍の大きな物資倉庫のあるダンベリーを攻めた。どちらの町も火に包まれた。トライアンはノーウォークの港にも火を付け海から撤退した。 アーノルドは急遽地元の志願兵約100名を集めた。彼は東コネチカット民兵500名を集めたゴールド・S・シリマン少将とデイビッド・ウースター少将のコネチカット民兵部隊に合流した。この二人はコネチカット東部から500名の志願兵を集めていた。アーノルドと仲間の士官達はその小さな部隊をダンベリーの近くに動かして、退却するイギリス軍を妨害し嫌がらせをしようとした。4月27日午前11時、ウースターの部隊がタイロンの後衛を捉え戦闘に入った。アーノルドはリッジフィールド郊外の農園に移動し、イギリス軍の撤退を止めようとした。それに続く小競り合い(リッジフィールドの戦い)の間にウースターが戦死した。アーノルドも彼の馬が撃たれて倒れたときに足に傷を負った。
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東部方面軍
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司令官は織田信忠、軍監に滝川一益。第二部終盤では武田家を滅ぼした。武田家滅亡後、滝川一益が上野に移っている。 その後、ほどなくして本能寺の変が起こり、信忠は逝去。滝川一益は混乱に乗じて侵攻してきた北条家に敗れ離散した。 滝川一益(たきがわ かずます) 通称は左近将監。神出鬼没の用兵を操る武将。織田家の主要な合戦には常に参戦している。甲州征伐編では信忠と共に武田領に侵攻しており、後の一統記では、関東方面軍の司令官となった事が語られた。しかし本能寺の変が起こると侵攻してきた北条軍に敗れた。この敗戦もあり清洲会議に参加する事すらできなかった。 清洲会議に参加出来ず、関東の自領を死守することも出来なかったことから他の四天王に比べてその立場は没落することとなったが、「賤ヶ岳の戦い」時には柴田派に組して居城長島城にて羽柴軍を迎え撃つ。しかし勝家が敗れると秀吉の圧力の前に剃髪して降伏、以降は越前で蟄居していたが小牧・長久手の戦いにて召還され、今度は秀吉方として信雄の領地・伊勢国を奇襲する。
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