東部方面の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:16 UTC 版)
ロワール方面のフランス軍壊滅の後、ロワール軍の敗残兵はフランス東部に集結して東方軍を編成し、シャルル・ブルバキ(Charles Denis Bourbaki)将軍がこれを率いた。フランス北東部のドイツ軍補給線を断つ最後の試みにおいて、ブルバキ軍は北へ進軍してベルフォールを包囲しているプロイセン軍を攻撃し、友軍を救出しようとした。 リゼーヌ(Lisaine)の戦いにおいて、ブルバキ軍の部隊はアウグスト・フォン・ヴェーダー(August von Werder)将軍が指揮するドイツ軍防御線の突破に失敗した。更にエドヴィン・フォン・マントイフェル将軍のドイツ「南方軍」も加わって、ブルバキ軍をスイス国境付近の山地まで追い詰めた。全滅の危機に瀕したブルバキ軍は国境を越えてスイスに入り、ポンタルリエ(Pontarlier)付近で中立国スイスの手により武装解除され捕虜となった。
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