東京五輪で五輪を描く
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:44 UTC 版)
「ブルーインパルス」の記事における「東京五輪で五輪を描く」の解説
これより少し遡る1963年(昭和38年)1月、東京オリンピック組織委員会 (OOC) よりブルーインパルスに対して、1964年(昭和39年)10月10日の東京オリンピック(東京五輪)開会式における祝賀飛行の要請があった。 ただし、当時航空幕僚長だった源田は1961年(昭和36年)から1962年(昭和37年)にかけて、自民党議員団や財界人、さらにはアマチュアレスリング協会の会長も浜松基地に呼んで展示飛行を行わせていた。また、東京五輪の準備に際しては防衛庁も「オリンピック準備委員会」を設けており、自衛隊も協力することになっていた。陸上自衛隊は祝砲を放ち、海上自衛隊は五輪旗を掲げて行進を行うことになっていたが、航空自衛隊の協力できる部分がなかった。源田は1962年の参議院選挙に出馬して政界入りしており、その直前に「開会式の上空に五輪を描く」ことを発案し、航空幕僚長から退官する際に業務引継ぎ事項の中に加えた。さらに、源田は政界入りした後も、オリンピック開催準備委員長でもあった参議院議員の津島壽一に対して、空に五輪を描くことを提案していた。こうした事情から、このOOCからの要請は源田の根回しの結果であるといわれている。 この結果、当初は単なる航過飛行(フライバイ)の要請であった が、第1航空団の飛行群司令からブルーインパルスに対して「五輪を描け」というオーダーが入ることになった。同年5月23日にはOOCの事務局から数名のスタッフが浜松基地を訪れ、ブルーインパルスのアクロバット飛行を見学した後、スモークで五輪を描く任務が具体化することになった。 この準備に際して、まずブルーインパルス側である程度の案を作成し、これを叩き台にしてOOCが開会式典の構成を策定した 結果、OOCから航空自衛隊への要望は「五輪マークを15時10分20秒から描き始め、位置は昭和天皇が座るロイヤルボックスの正面で、全景が見えること」という細かいものとなった。それに合わせて高度や円の大きさなどの方針を固めていった。しかし、何度訓練してもなかなか上手く描くことはできなかったという。また、カラースモークも、1番機が青、2番機が黄、3番機が黒、4番機が緑、5番機が赤の5色で五輪を描くように準備した。しかし、黒の発色がうまくいかず、ようやく完成したのは開会式の10日前である。 開会式前日の東京は土砂降りの雨で、もし開会式当日の10月10日も雨の場合は開会式は中止されることになっていた。このため、ブルーインパルスのパイロットらは「これは明日はない」と早合点し、深夜1時まで酒を多く飲んでそのまま新橋に宿泊してしまった。しかし、翌朝パイロットらが目を覚ますと東京の空は快晴であり、泡を食ったブルーインパルスのパイロットらは二日酔いのまま入間基地に駆け付け、本番に臨むことになった。 ブルーインパルスは出発に際し、入間基地の航空管制官から "Any altitude OK."、つまり「どの高度で飛んでもよろしい」という離陸許可を得た。予定通り午後2時半に離陸したブルーインパルスは、神奈川県湘南海岸の上空で待機した。入場行進の遅れから秒単位で指定されていた式の進行が乱れ、隊長の松下治英は機転を利かせて航空無線機器でNHKラジオを受信しながら開会式の状況を確認してタイミングを見計らった。聖火ランナーが国立競技場に入場すると同時に、ブルーインパルスは江の島上空を通過し国立競技場へ向かった。会場で鳩が放たれ君が代斉唱が終わった直後、赤坂見附の上空にたどり着いたブルーインパルスは松下の号令でスモークで五輪を描き始め、30秒後には東京の空に東西6キロメートル以上にわたる五輪が描かれた。練習でも経験したことのない会心の出来栄えであり、「成功」の無線を受けたパイロットらはコクピット内で歓喜の声を上げたという。展示飛行を終えたブルーインパルスは、銀座の上空を低空で通過したり、上野・池袋・新宿・渋谷・品川の上空をスモークを引きながら「凱旋飛行」し、入間基地に帰投したとされている。当時は都内での飛行は厳しく制限されていなかった 上、前述の通り航空管制官からは「どの高度で飛んでもよい」という許可を受けていた。 これはオリンピック史上でも前例のないアトラクションであり、開会式が全世界に衛星生中継されていたこともあって、ブルーインパルスは日本国民のみならず、世界的にも大々的に知られることになった。ブルーインパルスの隊員らはこの展示飛行の功績で防衛功労賞とOOCからの感謝状とトロフィーを10月20日に授与されている。なお、OOCからは開会式後に閉会式での実施も打診されたが、松下は「もう成功できるかどうか分からない」と辞退している。
※この「東京五輪で五輪を描く」の解説は、「ブルーインパルス」の解説の一部です。
「東京五輪で五輪を描く」を含む「ブルーインパルス」の記事については、「ブルーインパルス」の概要を参照ください。
- 東京五輪で五輪を描くのページへのリンク