東京五輪への挑戦
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2017年3月17日に6歳年上の関西在住のマラソン関係者と、約12年の交際を経て結婚したことが、4月14日に報じられた。競技の方は続行し、2020年東京オリンピック出場を目指すとされた。 リオ五輪以来約2年半振りのフルマラソン出場となる、2019年1月27日の大阪国際女子マラソンにエントリー。ところが、先頭集団にいた12.7Km地点で転倒してしまい、右顔と両膝等を強打し流血するアクシデントに見舞われる。直ぐ立ち上がり集団に追いついたが、「25キロ手前で意識がモアーッとしてきた」とゴール後に語っている。足も重くなって25Km手前辺りで先頭集団から遅れ、31Km過ぎでは屈伸しながら立ち止まり、その後何度もいったんストップしつつ、苦悶の表情で走り続ける。だが35.5Km地点で、永山監督から「無理しないで、また次に向けてやり直そう」と声を掛けられた後、福士は「分かりました。ごめんなさい」と謝罪しつつ、[要出典]自身マラソンでは初の途中棄権に終わった。翌1月28日、転倒した怪我の診断は「両膝打撲傷、右前額部打撲傷、右肘打撲傷で全治1週間を要する見込み」で、骨には異常がないことを発表。そして大阪国際から中41日で、名古屋ウィメンズマラソンへ国内招待選手としての再挑戦を決意する。 2019年3月10日の名古屋ウィメンズマラソンでは雨天の中、30Km過ぎまで大きなハプニングも発生せず終始先頭集団に加わった。31Km付近で集団が完全にばらけて、32Km過ぎで福士がいったん日本人首位に立った。しかし、40Km手前から猛烈に追い上げた岩出玲亜(アンダーアーマー)に40.8Km地点でかわされたものの、2時間24分台のタイムで岩出に次ぐ日本人2着・総合8位に入り、念願のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC・東京五輪女子マラソン選考会)出場権をようやく獲得した。ゴール後の福士は「やっと取りましたーMGC!お待たせいたしました!日本人トップになりたかったが、岩出選手が強かったですね。残念。転ばなければいけるんでしょうね」と苦笑いしながらインタビューに応えつつ、MGC出場に向けて「具体的には1等賞?獲れたら良いね。頑張ります!」と新たに意欲を燃やしながらコメントしていた。 同年9月15日のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC・東京五輪女子マラソン選考会)に最年長で出場するも、2時間33分29秒の7位で五輪出場権の獲得ならず。レース後のインタビューで「まだやるのかなあ」と語り、残る1枠の獲得を目指してマラソンに出場する意向を示した。 2020年1月26日の大阪国際女子マラソンは25km過ぎで、3月8日の名古屋ウィメンズマラソンは30km過ぎで、いずれも途中棄権してマラソンでの東京オリンピック出場はならず、名古屋のレース後には「一度リセットした上で、冷静なプランを考えたいと思います」とコメントした。同年11月、全日本実業団対抗女子駅伝に「駅伝ラストラン」として出場、アンカーの6区で区間2位の走りを見せた。この大会では6位でたすきをつないで一時は3位まで順位を上げたが、ゴール手前の競技場直線コースで籔下明音(豊田自動織機)に「風のように」抜かれ、総合順位は4位だった。このレースで福士の全日本実業団対抗女子駅伝出場は20回となり、通算108人のランナーを抜いて参加を終えた。 2020年東京オリンピックが延期となり、10000mの選考大会となった2021年5月3日の第105回日本陸上競技選手権大会10000mに出場、19位に終わる。レース後には「私の陸上競技人生、1周回ってほぼ経験したかなって思うので、今は、お腹いっぱいです」「この先、どうするかは、わかりません。だから、今後の事は、聞かんでください。」というコメントをチームウェブサイト上に寄せた。
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